手話の世界へ オリバー サックス (1996/02) 晶文社 この商品の詳細を見る |
「耳の聞こえないこの老女は、ひとり夢想にふけることがあった。
そんな時、両手をせわしなく複雑に動かし、編み物でもしているようなしぐさをする。
だがこの老女の娘(この娘も手話ができる)によると、それは編み物をしているのではなく、手話で考え事をしているのだという。
寝ているときでも、両手をベッドカバーから出して手話をすることがある。
手話で夢を見ているのだ」
本書では、手話を操る人々の驚異的な世界が展開される。
聴覚障害をテーマにしたドラマや小説などを読んでいると、彼らが「弱者」であることが前提とされているが、それはあくまで「社会的弱者」であって、言語能力においては弱者でもなんでもないことがよくわかる。
彼らは口話とは異なる独立した文法と独立した空間解析によって独自の世界を築いているのだ。
いわば「外国語をしゃべる人」なのであり、言語能力に『障害』があるわけではない。
加えて学術的にも、手話は脳の言語機能を解析する上で非常に有益な現象である。
チョムスキーの言う「人間に特有で、生来的な普遍文法」を示唆する強い状況証拠を数多く提供してくれるからである。
たとえばチンパンジーが言葉を操れるかという論争において、
「チンパンジーは咽頭の構造上しゃべれないだけ」という議論に対しては、
「ではなぜチンパンジーは手話も操れないのか」と反論できる。
チンパンジーが手で表す動作はせいぜい『単語の対応』レベルであって、そこに『文法』は存在しない。
まして人間の子供のように、「周囲の文法的に不完全な手話から、文法的に完璧な手話を構築する」などという芸当はできない。
文法生成能力が人間固有であることを示唆する証拠である。
ただしこれに対しては、
・チンパンジーは手の「対立・復帰運動」ができないから複雑な動きができない
・ソングバードは文法がある
(Recursive syntactic pattern learning by songbirds, nature 2006 )
という反論も可能であろう。
(本書ではチョムスキー理論における論争に焦点を当ててはいない。念のため。)
聾者の空間解析能力も興味深い。
「口話」が1次元であるのに対し「手話」は4次元である。
音声だけの言語は時間軸のみの情報しか与えられないが、
手話では時間に加えて3次元の空間が与えられるので、より複雑な情報を詰め込める。
実際に、聾者は複雑な空間構造解析を行っていることが本書の中で示されている。
たとえば漢字の解析。
香港の聴者と聾者(児童)に、「光の点で“漢字もどきの字”を一筆書きした映像」を見せる実験が行われた。
一筆書きであるがゆえ、光の軌跡そのものは元の漢字の原形をとどめていない。
(たとえば「二」という漢字は「乙」に近くなる。
なぜ漢字ではなく“漢字もどき”かというと、既に知っている漢字であるが故のアーティファクトを除くためである。
結果は、聴者は漢字もどきを再現できなかったが、聾者はできた。
しかも彼らの空間認識は、認知空間と言語空間で別ということも示唆されている。
大脳の右半球に障害がある聾者がいた。
この患者は左半球の視界認識ができない。
この患者に、部屋の構造を紙に描写させると、紙の左半分を無視して右半分に全ての要素を詰め込んだ。
しかし会話の中では、左半球を目いっぱい使って楽に手話をしてみせた。
認知空間には障害が起きても、言語空間には障害が起きていないと結論付けられている。
実際には手話の脳科学的な分析は1/3ほどで、他は聾者の生活と歴史のドラマに重点がおかれている。
こちらはこちらで、暗い内容を含みながらも、大いに考えさせられる内容となっている。
「哲学や化学の講義が手話で行われる」ギャロデット大学における聾者の反乱と自治獲得のストーリーは圧巻。