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益川教授&堀場氏、金融工学の暴走を叱る?

今週の日経ビジネス(09.03.09号)に、ノーベル賞受賞者の益川敏英教授と、堀場製製作所の堀場雅夫氏の対談が載っていました。

タイトルは「金融工学の暴走を叱る」

対談の2割程度しか金融工学に触れていないのにこのタイトルはどうなのかと思いましたが、何せ読者がビジネスパーソンですから致し方ないかもしれません。

益川教授の「すごい人への憧れが人を伸ばしてくれる」という言葉や
堀場氏の「1週間に1度以上、感動を覚える体験をすべき」という言葉など
共感する部分もあったのですが、金融に関する議論には私の頭の中で異論が沸騰。

益川:最近の金融工学なんて、「あぶく銭」を稼ごうという発想ですね。あっちのお金をこっちに動かしてとか。だけども実需を伴わない限り絶対に価値は生み出せない。考え方がちょっと狂っている。

堀場:最近の経済危機で、結論が出たんじゃないですか。本当の意味で付加価値を生まない仕事をいくらやっても、単に人を騙しているだけです。もう一度、バーチャルから実業に戻らない限り、絶対に人類は成長しないという答えがはっきり出たと思うね。


どの「金融工学」を指しているのかわかりませんが、理論物理も似たようなものなのでは?

あっちの式をこっちに動かしたりしながら、実需を伴わない研究をしているように見えるのですけれども。

反論があるとすれば
「理論物理には実体が伴う」
「理論物理は長期的には実需がある」
という点でしょうか。

まず、そもそも「金融工学には実体がないから価値は生み出せない」という点は大きな誤解です。

たとえば保険も立派な金融ですが(AIGを挙げるまでもなく)、保険に「実体がない」からといって「実需がない」「価値がない」と主張する人はまれのはず。

お二人とも何らかの保険には加入してらっしゃるでしょうしね。

その保険会社は、必ずどこかで「金融工学」を利用しています。


次に「長期的な実需」という点ですが、「長期的には利益」という点は金融工学も同様で、金融工学の黎明から現在に至る約30年で、世界の富は大幅に増加しています。

人類の歴史の中で最も急速に成長した「実体」経済(堀場製作所も含む)は、金融工学の助けなしにはあり得なかったでしょう。

少なくとも、クォーク云々の研究の価値が実体化するよりも早く、金融工学はその価値を実体化できます。

益川:金融工学で使っている「確率微分方程式」なんか、我々が量子力学で使う計算式とほとんど同じなんですよ。だから、私から見ると、何をやっているかはある程度分かるわけ。計算式におぼれていると。
会社はそんな計算をするために大型のコンピューターを買う。そして、何十億円もかけたんだから立派な計算をしているに違いないと思っている。一見、複雑に見えますが、実にちゃちなことをやっているわけです。
 環境が同じような状態で推移している間は問題がないけど、社会的な常識ががらっと変わる局面になると全然使えなくなる。

堀場:どんな優秀なコンピューターでも、その条件設定を間違えたら、自爆するまで突き進むだけ。人間なら、上司から命令されたことでも危険だと思ったら自分で回避するでしょう。真っすぐ行けと言われても、向こうから汽車が来たら止まりますやん。それができずに爆発するまで走っちゃったのが、今回の金融危機でしょう。


計算式だけ見て金融機関が何をやっているのか分かると思い込むのも計算式におぼれているように思います。

私が現在の金融機関に来て、「金融は素人なので今から頑張って勉強します!」と上司に言った時に返ってきた答えは「ああ、教科書は役に立たないから、実戦で覚えてね」でした。

マーケットメークのための「模範的な計算式」はあくまで参考値であり、せいぜいケタが分かるだけで、ほとんどはバンカーやトレーダーの交渉能力で決まる、と。

素粒子は理論通りに動いても、顧客は理論通りには動かないということは当事者の方がよくわかっています。


「汽車」のたとえは、「向こうから汽車が来る」という状況設定がミスリード。

どうせ例えるなら、「複数の汽車が並んで競争し、崖に向かって突っ走るチキンゲーム」の方が正確です。

隣の汽車に負ければ、今後の修理予算を切られて中期的に死ぬ。
しかしこのまま突っ走れば全ての汽車が短期的に死ぬ。

滑稽であることに変わりありませんが、「前から突っ走ってきた汽車をよければよかったんだよ」というレベルの簡単な問題ではありません。


堀場:サイエンスでも、CO2(二酸化炭素)と地球温暖化の因果関係なんかがそうですね。CO2の量と地球の温度が上がっていた。それで温度上昇はCO2が原因であるという結論を出したわけですよ。
 それ以外の変数がものすごく少ないから、因果関係が完全に分かったわけではない。条件設定が違えば、いくらスーパーコンピューターを使ったって、間違えます。

益川:哲学と言ったら言い過ぎなんだろうけど、起こっている事象の背景にあるものに対する洞察力、批判能力みたいなものが非常に弱くなっている。だから100億円のコンピューターで出した計算結果には100億円の価値があると思っちゃうんですね。

堀場:理科系であろうが、文化系であろうが、基本的な自然科学というものを知らない人があまりにも多すぎる。だから疑問を挟まないんですよ。
 金融工学だって結局、ネズミ講と一緒じゃないですか。上の人は絶対に儲かるんだけど、人口が有限である限り、誰かがババを引く。小学生でもわかりそうなことや。今回はそれを仕掛けたやつらが先に自爆したけどね。


地球温暖化の二酸化炭素原因説をさも当然かのように否定する勇気には感服しますが(私も二酸化炭素原因説にはまだ完全には信頼しきれないのですが)しかし「小学生でもわかる」とまで言われるとちょっと。

ネズミ講と決定的に違うのは、「仕掛ける側」と「仕掛けられる側」の区別がつかないこと。

「仕掛けたやつらが自爆したけどね」とメシウマ調で語っていますが、仕掛けたやつらって誰でしょう?投資銀行?ファンド?

投資銀行もファンドも「仕掛ける側」であったのと同時に「仕掛けられる側」でもありました。

さらに、ファンドなどの運用資金の約半分は、年金や大学の基金などの「強欲とは無縁と思われている」出自を持ちます。

ファンドは、プルーデントマン・ルールにより年金機関から短期的な利益を追求する圧力を受けることになりました。

その意味では、年金基金でさえも「仕掛ける側」だったと言えるでしょう。
(無論、昨今の年金評価損からもわかるように、「仕掛けられる側」でもありました)

保険、年金、大学etc、お二人にも無縁ではなかろう機関も関係者であり、さらにこれらの機関が求めた利回りは、ネズミ講ほど怪しいものではありませんでした。

だからこそ、リーマン・ショックとは関係ないと思われていた、香港・台湾・シンガポールといった場所の年金基金が一部崩壊するなどの飛び火現象も起きるのです。

今回の危機のスキームは複雑に絡み合っており、とても「小学生でもわかる」ものではありません。

少なくとも私が小学生の時には、こんなことはわからないということはわかったと思います。


さらにマジレスすると、普段から何兆円規模の債券を扱い、自分の給料も何億円もあるようなトレーダーにとって、「100億円の価値」なんてちっぽけなものです。

その意味では「コンピューターが出した答えに100億円の価値があると思い込む」という指摘は正しいのですが、意味が逆。


益川:もっと早くから考えていれば、将来、どんなことが起こるか予測可能だったと思うんですよね。それに対する手当てを、誰も何もしてこなかった。
 確かに少々毒が混ざっていても、体力があるうちは健康でいられるんだけれども、何かの拍子で風向きが変わった時、一気に問題が出てくる。そもそも、サブプライムローンみたいな仕組みに対して、疑問を持たなかったことが問題ですよね。


「考えれば予測できたはず」という思い込み自体に疑問を持ちます。

わずか10年前、益川教授と同様にノーベル賞を受賞した学者2人が「早くからよく考えて」設立したLTCMは、簡単に吹っ飛びました。


今回の危機の一端とされるFRBの低金利政策にしても、グリーンスパンがこの政策を始めた当時、アメリカではデフレによる経済失速の懸念がありました。

もし金利を引き上げて不況に陥らせていたとしたら、やはりその場合にも「よく考えれば問題は回避できたはずだ」という批判が起こったでしょう。

現時点で経済学は結果論でしかなく、益川教授に今後の世界経済に起こることを考えてもらっても、おそらくその予測は当たらないと考えられます。



「私なら予測できる」

この思い込みを排除することが、暴走に歯止めをかける上で肝要だと思います。

自戒を込めて。
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経産省:「空気を浄化する車を発明したら2億円あげます」…成功報酬制度は証券化できないか

政府が成功報酬型の研究開発支援制度を今年から導入するようです。

日経NETより
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20090202AT3S1100L01022009.html

政府は成功報酬型の研究開発支援制度を2009年度に導入する。医療や地球温暖化対策など政策として欠かせない分野で具体的な研究開発課題を設定。目標を達成した研究者に対して総額で約2億5000万円の賞金を用意する。成功した場合にのみ報酬を支払うため効率的な支援ができる。研究者間の競争により、技術革新のスピードを速める効果も期待している。

 経済産業省は4月にも、有識者を交えた専門委員会を設け、具体的な研究開発テーマについて議論を始める。参加者の募集や審査、賞金の授与などの実務は独立行政法人の新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が手掛ける。(02日 07:01)


たった2.5億円か、という批判がネット上で見受けられますが、導入段階での規模としてはそんなに大きくするわけにもいかないのは理解できます。

むしろ、私が疑問にを感じたのは、ネットには載っていない後半部分の記述でした。

以下、紙面に載っていた同記事の後半部分。強調は引用者。

 テーマは2つ設定する見通し。医療や地球温暖化対策などの分野で、実用化の緊急性が高い応用技術を対象とする。例えば「新型インフルエンザの検査キットの開発」「走行中に大気を浄化する自動車の開発」「白金の使用を3割削減した燃料電池の開発」などと具体的に示す。
 参加者には主に大学や企業の研究者を想定しており、課題を達成すれば約2億5,000万円を上限に、開発費の3分の2を賞金として授与する。2つのテーマに1件ずつ対象が出れば、賞金は総額の半分とする。
(後略)



「少ない開発費で発明した優秀な人ほど報われないんですね」とか
「2つも画期的な発明が現れるとむしろ報酬は減るんですね」とか

突っ込みたいのはそこではないのです。


「新型インフルエンザの検査キット」
「走行すれば大気が浄化される自動車」


って、そんなドラえもんの道具一歩手前みたいな開発をしたら、単純にその商品の売上げや特許だけで軽く2.5億円なんて稼げてしまうのでは?

そんな神がかった開発に対して、わずか2.5億円の報酬を上積みしたところで研究者のモチベーションが大きく変わるとは思えません。

むしろ、「競争相手が増えそうだから、この分野から手を引こうか」と思う人だって出てくる可能性があります。
特に大学の研究者なんて、一般に資金力では大幅に企業の後塵を拝していますし。



私としては、この成功報酬の仕組みはむしろ基礎研究に生かせないかと考えています。

以前、「研究のリスクを証券化できないか」というエントリーを書きました。
(→就職することにした理由

今や悪の権化みたいに思われている節のある証券化ですが、証券化自体はあくまでリスク分散のシステムであって、その逆ではありません。

基本的な考え方は株式会社と同様で、「うまくいったらたくさんの株主がちょっとずつ儲かる、代わりにうまくいかなかったらそれぞれの株主がちょっとずつ損をする」という仕組みです。

基礎研究は一般に利益を生みませんが、その「利益」を「政府からの報奨金」にすればよいのです。

お金が足りない研究者は、市場に対してこう呼びかけます。

「今回の研究には1億円が必要です。でも成功したら政府から2億円が貰えます。投資家の皆さんが1口1万円で投資して頂ければ、成功の暁には1口2万円にしてお返しします」

で、延べ1万人くらいが投資してくれればOK。

これの何が良いって、初期費用である1億円は政府が負う必要がないという点です。
政府は、「成功した基礎研究」のみにお金を払えばよいのですから、成功報酬を引き上げる余裕も出てくるでしょう。
そうなれば、リターンを求める投資家の意欲も喚起することが容易になります。

スキーム自体はビジネスと化してしまいますが、むしろ「ビジネスに結び付く研究」をする必要がなく、「研究自体がビジネス」なので、内容は柔軟になる可能性があります。

ビジネスとは言っても、リターンは研究者ではなくて投資家に償還されるため、自称「利益のためではなく人類の英知に貢献するため研究している」人も利用しやすい仕組みではないかと思います。

大きな貢献のために大きな資金が必要(でも儲けには関心なし)という場合もあるでしょう。

さらに、ビジネスとなる以上は外部からの監査が強くならざるをえないと考えられます。

研究費の無駄遣いや、杜撰な人材活用などは、従来と比べて公的に糾弾しやすくなるメリットがあります。税金と比べて利害関係者が明確だからです。

投資家に対して研究室の情報を提供する機関も出てくるでしょうから、そういった中で情報公開も進めば、学生も“就職活動としての研究室選び”が容易になることも期待できます。

逆にデメリットとしては、研究室がこれまで以上に企業と化してしまうと、院生への圧力がさらに高まってしまう可能性があるということでしょうか。

企業とは異なり、院生には雇用関係が存在しないため、こき使われるようになることは避けねばなりません。

研究が景気に左右されるようになってしまう、という点もデメリットかもしれませんが、それは税金であっても同様であり、むしろ税金と金融市場では後者の方が緩衝力が強いとも言えます。

何せ、過去半年で数京円が吹っ飛んでもなお数千兆円の残高を維持しているくらいですから、2億円や3億円なんて、単位としては微々たるものです。

(少額すぎて投資対象にならないのであれば、それこそ再証券化して、各投資家に合う商品を作ればよいのです。え、流動性がゼロ?難しいことはここでは割愛します・・・)

他にも多くの問題はあるでしょうが、研究資金の調達先として金融市場を利用するのも一考に値するのではないかと再考した次第。修士課程が2月2日を以て終了した記念に。

博士(ポスドク)の社会進出で国ができること

ちょっと出遅れ感があるものの。

息子(娘)の博士課程進学で親ができること
http://anond.hatelabo.jp/20090117074753
息子(娘)が博士課程に進むということは、極端にいえば、「xxという会社に将来性があると思うから、2000万円ぐらい投資します」といっているのと金銭的には同じようなものだ。要するに2000万円程度の成功率の低い投資行為なのだ。それが、親の財力と子供の数から考えて、高い投資か低い投資かは、家庭環境によるだろう。

もし、あなたに親として2000万円の投資に耐えられる財力がないのであれば、息子(娘)を説得して、博士課程進学を諦めさせてほしい。


至極現実的なアドバイスだと思います。

『院生たる者、寝る暇も惜しんでアルバイトでもして生計を立てればよい』という精神論は、投資に例えるなら
「企業家たる者、借入に頼らずにアルバイトで資本調達すればよい」と言うくらい滑稽です。

寝る暇を惜しむエネルギーがあるなら、資本調達でなく本業に集中すべきでしょう。

さらに、本業で資本調達できるようにするためには初期投資がどうしても必要。

成功したベンチャーだって最初の1~2年(場合によっては10年)は赤字だったものです。

通常、博士号を取得するためには国際ジャーナルへの掲載が必要で、要するにグローバルな競争市場で勝たなければなりません。

競合相手は、親の援助どころか国や企業から援助を受けている場合もあるでしょう。

自分の息子が「アルバイトをしながらエコ自動車を開発して世界市場に進出する!」なんて言い出したら普通は止めるはず。



そんなわけで、「親の理解が得られなかったから就職した」という選択は、国としては悲しいものですが個人としては妥当な線だと思います。

私の場合は状況が特殊で、

「博士の展望に悲観的なことを言い過ぎて後悔しています」(本当は進学して欲しかった)

という言葉を父から引き出してしまう有様でした。「生活費なら出せたのに」と。


なかなかマッチングがうまくいかないものですね。

私の親は「損をしてもいいから息子の研究生活に投資したい」と考えており、
しかし肝心の息子はその損が許せなかった。で、損得勘定が全ての投資銀行へ。

世の博士希望の学生は、損をする可能性に気づきつつも研究を続けたくて、
しかし彼らの親はその損が許せずに、子を兵糧攻め。


上記エントリーの関連ポストに、「学振は運だ」「いや実力だ」「教授ポストはもっと運だ」云々が議論されていますけど、

どの親の下に生まれるのか、という「運」に比べればその後の運なんて誤差の範囲に思えてきます。




ではいま振り返って、当時の選択を後悔しているかというと全くそんなことはありません。

過去数ヶ月、修士論文を書いてきて「やっぱり研究は面白いな」と思いつつ、同時に「でもやっぱりもっと広い世界に身を置きたいな」とも思ったものです。

同時に、この世界金融危機の下にあって尚、就職の状況は博士の方が不透明です。

確かにこの不況下でも博士・ポスドクの採用人数は激減はしていません。

でもそれは、もともとポストが少なすぎて激減の余地がないから。

先週発売された、『理系白書3:迫るアジア どうする日本の研究者』(毎日新聞科学環境部:2009)によると;

企業も博士採用に消極的で、2007年2月に日本経済団体連合会が公表した企業アンケート調査(回答71社)によると、技術系新卒採用者のうち博士の占める割合はわずか3%。博士に対して給与・処遇面で優遇措置をとっている企業は1/4、「博士の採用を増やしたい」と答えた企業も1割にとどまった。


2007年2月といえば、ゴールドマン・サックスが平均ボーナス7,000万円を社員に処遇した時期。

それほど羽振りが良い世界情勢であっても、博士の就職なんてこんなものです。

父は「悲観的なことを言ってごめん」と言っていましたが、
親に指摘されるまでもなく、この業界の構造くらい自分で調べられます。

親にはかじる脛(すね)があっても、この国にはかじる脛がほとんどないことは明白。

研究業は、生計が危うくなったときにお上に対して「パパ~たちゅけて~」と言える業界ではありません。

やっと最近、企業や文科省によるポスドク支援も増えてきたと思ったら議員がこんなことを言い出す始末↓

2009年度予算案の編成にあたっては、これらのポスドク支援策に対し、与党の一部から「自助努力で取り組むべき問題で、国が支援することはおかしい」との注文がついた。だが、将来のポストも用意せず、ある意味「無計画」にポスドクを増やしたのも国であることを忘れてはならない。(前掲著)


自助努力!

では最近、与党が提出した「銀行保有株買取の再開提案」は何なのかと言いたくなります。

今度は20兆円もの公的資金枠を用意して、銀行が保有する株式を政府が直接買い取るそうで。

失われた10年の反省から、2002年に政府が1兆5千億円をかけて銀行が保有する株式を買い取ってからわずか6年。

規制と「自助努力」により銀行の経営は改善されていくはずが、懲りずにまた株式持合いの割合を増やし、今回の危機で保有株が再度劣化。

また政府の買い取りを求める始末。

自助努力が失敗しても(怠っても)「パパたちゅけて~」と言えばお上が救済してくれるのですから楽なものです。

博士・ポスドクも、自助努力が失敗した時のため救済がもっと充実していてよいと思うのですけれども。


と言うと、「金融は国家の基幹であるから保護が必要だが、研究は違う」と返されるのが常。

それは認めるのですが、しかし銀行が貸し出している企業には、研究ありきのメーカーも多いわけです。

銀行が一時的に救済されても、貸し出す先のメーカーが劣化しては元も子もありません。

せめて、銀行の救済枠の1%(2,000億円)でも研究用に回せば、科研費が倍増するくらいのインパクトがあるのですが。

福岡伸一氏:「できそこないの男はいばるな」

日本経済新聞(10月29日夕刊)に、福岡伸一氏の新刊『できそこないの男たち』(光文社新書)について氏がインタビューされている宣伝広告がありました。

「企画・製作=日本経済新聞社広告局」とあるので、光文社独自の広告枠ではなく、日経新聞でしか読めない広告と思われます。

インタビューの冒頭から途中までを抜粋。

-大変刺激的なタイトルですが、まずはそれについて教えてください。

福岡:この本で私が書きたかったことの核心は、「いばるな男!」とうことです。生物のなりたちを見ると、男はそんなにいばってばかりはいられないはずなのです。なぜなら男はすべてできそこないだからです。

―できそこないではない男、たとえば「できた男」はいないということですか?

福岡:そうです。あらゆる生命は最初、メスとして発生します。メスとしての基本仕様を、オス用にカスタマイズすることでオスは生まれてくるのです。
そのカスタマイズは、急場しのぎで無理があるため、男は女に比べて病気やストレスに弱い、ひいては死にやすい生き物となります。

―なのに、われわれ人間の社会生活の中では、男はいばって見えますね。

福岡:確かに。いまだに男が種を植えて、それをはぐくむ苗床が女、という錯誤的な見方があります。
しかし生物学的には、男の優位性は全くの幻想であり、決定的に誤っています。



本書についての批判としては、
「基本的なレベルで科学的事実の誤認がある」とか
「エッセイ的な部分が多すぎて空疎」だとか
「文系の私から見ても説明が冗長」だとか
いろいろなものがありますが、私はこれらの批判に与するつもりはありません。

基礎的な科学的事実の誤認は、プロでも往々にして起こることです。

「あなたの隣の研究室の分野について、基礎から理解している自信がありますか?」

と問われて、自信を持ってYESと言える研究者はほとんどいません。

分野を横断する研究と解説が求められている今、技術的なミスを責め立てると進歩が阻害されると思っています。

「自伝の部分が多すぎる」とか「たとえ話が冗長」だとか言われている点に関しては、「そういう本なんです」としか言いようがないかと。

これが教科書ならともかく、新書なんですから、まぁこういう形式があっても良いと思います。

ポスドク時代の苦労話は、大学院生には参考になるかもしれませんし。


ですが。


「本書で書きたかったことの核心は『いばるな男!』ということです」

と言われてしまうと、突っ込みたい衝動を抑えられなくなってしまったので書いちゃいます。


「生物的にできそこないなら、いばってはいけない」

という考え方は非常に、非常に危険な考え方ではないでしょうか?

いばっていいかどうかの基準って、生物学的な優位性に依拠してるんでしたっけ?

「男」でなくとも、生物学的に優位ではない人ってたくさんいるじゃないですか。

遺伝病を持って生まれてくる人なんてたくさんいます。

彼らは、「生物的にできそこない」という理由で「いばってはいけない」のですか?

性同一性障害の人なんて、福岡氏の言う「カスタマイズ」にさえ遺伝的には“失敗”している状態である場合もあります。

彼らは男よりも劣位なんでしょうか?


氏は「いばっていい条件」を明確に挙げているわけではないので、もしかしたら「男も女も、皆いばってはいけない」と考えている可能性もあります。

でもそしたら「男は女よりも生物学的に見てできそこないだから」という理由付けがおかしい。

この理由を採用する限り、「生物学的に完全に近い女はいばってよい」を強く示唆するからです。

もっと言えば、健常者は遺伝病患者よりもいばってよい、と。

「生まれつき足の速い者、美しい者、親が貧しい者、病弱な体を持つ者、
生まれも育ちも才能も、人間は皆ァ!違っておるのだ。
そう、人は差別されるためにある!」

って、どこかで聴いた演説w


「人間は男に生まれるのではない。男になるのだ」って、ボーボワールの言葉をもじっていますけど、ボーボワールは一言も「女(男)の方が社会的に偉い」とは書いていません。

性差を根拠にした社会的差別自体を否定しにかかっていたのです。



根本的な問題として、社会的な優劣の問題を、生物学的な優劣を根拠に語ること自体が大きな間違いだと思います。

これは、氏に限らず一部のフェミニストや一部の保守派も同じなのですけれど。

フェミニスト(の一部)は、「男女に生物学的な性差はない!」ことを主張するのに躍起になっています。

「空間認知の差を論じたこのfMRIの実験はおかしい!」とか
「言語能力の差を論じたこの遺伝実験はおかしい!」とか。

しかしですね、そもそも男女差別を撤廃するために「生物学的な性差を否定」しようとするロジック自体がだいぶおかしい

彼/彼女らは、「もし男女に生物学的な差があるのであれば、差別は許される」ことを暗に認めてしまっているからです。

もしそうでないのなら、早々に生物学論争からは手を引いた方が良いでしょう。

なぜなら、「もし男女に生物学的な差があっても差別は許されない」と信じているなら、生物論争は全く無駄だからです。

「生物学的な差はあるが、しかしその差を論拠にしたこの社会的な隔壁は許されない」と論じるべきなんです。

(っていうか生物論争において勝ち目はないからやめた方が良いかと)


「優位」「劣位」でなくとも、「社会的な役割」を論じる場合も同様です。

「女性の方が、育児に適した生物的な構造になっている」ことが証明されたと仮定しても、
「だから、女性に育児をさせる社会な構造を作ろう」ということに必ずしもつながりません。

「日本人は、遺伝的に(MAO等)リスクテイクをしない」という事実があったとしても
「だから日本人にはベンチャービジネスをさせない税制にしよう」とはならないはずです。


社会的な問題に流れる「思想」は基本的に生物学的な『事実』とは関係がありません。

ユダヤ人がアーリア人よりも生物的に劣ると仮に判明したとしても(そんなことはないと思いますが)
「だからユダヤ人をサポートしよう!」となるか
「だからユダヤ人を殲滅しよう!」となるか
「別に、ほっとけば?」となるかは
社会的な思想の問題であって、生物の問題ではないのです。

なんか冗長になってしまいましたが、何が言いたいって言うと、こう、性を語るならもう少し性の社会的な側面に敏感になったほうが良いかもね、ということでした。

経産省:「基礎研究者は30年先のヴィジョン示して」

経済産業省の企画官の方の講演を聞きに行きました。

テーマは経産省の技術開発計画。

内容はとても興味深いものでした。

その分、突っ込みどころが多くありまして。


たとえば、過去の計画の説明における以下のお言葉。

「平成8年から12年の計画時には、昔問題になったポスドク1万人計画が出されたわけですが」


ん?昔?

いや過去の問題にされても困るのですが

と突っ込みたいのをこらえました。




しかし基本的にこの方は基礎研究を擁護する立場で話されていたので、その点で参考になる点は多くありました。

最近、企業による大学向けの競争的資金の枠も増えていますが、大学による申請の内容が『企業的になっている』ことが企業としては不満のようです。

おそらく大学は、企業に気に入られようとしてそのような計画をしているのでしょうが、企業的な開発研究なら自社でできるから必要ない、と。

大学には大学らしい基礎研究をして欲しい、とのことでした。

過去10年ほど、企業は基礎研究から開発研究のほうに軸足を移していたわけですが、そのツケが現在ボディーブローのように効いている、という話もよく耳にするそうです。



しかし財務省は、『研究費に金を投じるのは砂漠に水をまくようなもの、一体何が出てくるのかわからない』という意識から全く抜け切れていないらしく、
従って研究者は社会に対して「これから何が出てくるのか?」という点を明確に示していく義務がある、と強く強調されていました。

それも10年~30年の戦略を。



30年て。



3年先が闇であるビジネスの世界の人が聞いたら卒倒しそうです。


しかしこの発言に違和感を持ったのは私だけではないらしく。

「30年の間には世代交代が起きるから次の世代がその研究を継いでくれる保証が必要だが、そんなことができるのか」

という突っ込みも入ります。

それに対しては「研究者が30年先のビジョン、見通しを示せば大丈夫」と。

ほんまかいな。

ビジョンがあっても、『生きていけそう』という感覚を伴わないとなかなか人は来なさそうに思うのですが。




30年ってすごいですよ。

逆に30年前の状況を考えてみればわかります。

ソ連でポリウォーターなるものの研究がブームだった時期(30年以上前ですが)に、「30年後にはこの研究はこうなる!」と妄想していた研究者は涙目。二重の意味で。

ポリウォーターの存在自体がかなり早い段階で間違いだと判明した上、

30年も経たないうちにまさかソ連という国家の存在が消えるなど誰が想像したでしょう。


よくよく考えると、研究予算の枠は政府の「重点分野」云々で決まってくるので、むしろ政府に「むこう30年、どのような計画で予算を配分なさるのですか」と聞きたい気もします。

と言うと

「その計画を立てるために皆様研究者の計画が必要なのです」と言われそうですが。

しかし何を重点化すべきかというのは多分に社会的な問題であり、科学者が決定すべきところではない気もするんですよね・・・



等々、突っ込みどころはたくさんあったのですが、この担当者の方は「研究者と対話しよう」という姿勢が滲み出ていて非常に好感が持てました。

突っ込みようがないような、単なる事実の羅列にすることも可能だったのに。

「問題提起」や「行動の提案」まで突っ込んでプレゼンテーションされていたからこそ突っ込みどころが出てきたのだと思われます。

2万分の1:新規化合物が新薬になる確率

某大手製薬会社の幹部と話をしてきました。

大学へ講演に来てくださり、その後の懇親会でいろいろとお話を伺うことができまして。


講演の一節に、製薬にかかるコストのことがありました。

日本の主要製薬会社18社の過去の製薬開発を見てみると、

1つの薬を開発するのに9~17年、平均500億円がかかっているそうです。


2万種類の新たな化合物を合成しても、

臨床段階を通過するのが3種類

申請段階に到達するのが2種類

最終的に承認されるのが1種類

平均して2万分の1しかないと。


以下、その幹部の人とのQ&A。

Q:この2万分の1という確率は海外でも同じなのですか?

A:およそ似たようなものです。

Q:この確率を上げるためにどのようなことをされているのですか?

A:会社ごとに、データのライブラリーを交換したりして、ネガティブデータの共有を図っています

Q:交換されるライブラリーは等価値なのです?

A:そもそもライブラリーの形式などが会社によって全く異なるため、比較自体が難しい状況にあります。
まだ活発に交換されているとは言い難く、今後の課題となるでしょう。

Q:昨今、日本の製薬会社が海外の会社を買収する案件が続いていますが、あれもこの確率を高めるための戦略なのでしょうか。

A:戦略は各社によって異なるので、必ずしもそうとは限らないと思います。
自社の持っていない技術を買うためということもあるでしょうし、単純にマーケットを広げたいという意向で買収している場合もあります。

Q:一部の会社は、買収する会社自体が主目的ではなく、買収する際に抱える負債によって自社が買収されることを防ぐことが目的と言われていますが、そのようなこともありうるのでしょうか。

A:ありうると思います。実際には多くの思惑が絡んでいるので一概にどれが主目的かは断言できないでしょうが。

Q:今後も製薬企業のM&Aは進むと思いますか?

A:わかりません、進む可能性もありますが、国内の製薬企業は過去数年の吸収・合併のごたごたからやっと落ち着いてきたばかりです。
これからまたさらにあの喧騒に突き進むのはかなり勇気が必要かもしれませんね。

Q:やはり合併は大変だったのですか。具体的にはどのようなところが?

A:それはもう。大変なのは主に人事とシステムですね。
合併までの1年間は研究部門も研究に専念できていたわけではありません。
特にシステムが大変で、2つの会社のシステムを統合するのは一筋縄ではいきませんでした。

Q:今後、海外の製薬会社や他社のライセンスを買収することで、研究開発費を削るという方向性は考えられますか?

A:それはありません。
株主の方々からも同じような質問を多く頂きますが、研究開発費は会社の根幹ですから、ここの手を緩めることはありません。

Q:ありがとうございます。
ちなみに、御社が先ほどのように講演をしてくださるのはありがたいのですが、御社にとってのメリットはどのようなところにあるのでしょうか?

A:一つはCSR。ただ、CSRとは別に、製薬会社は社会との接点を失うと生きていけないと私は考えています。こういった場で皆様のご意見を頂ければ、必ず弊社の成長に役に立つと考えています。


(引用終わり)


統合時の人事の話をもっと聞きたかったのですが、さすがに憚れたので詳細は聞けませんでした。

合併時の人事は、こう言うと不謹慎かもしれませんが人間ドラマが詰まっているので興味津々です。

システムに関しては、「やはりシステムがネックなのか」という感想を持ちました。

都市銀行の統合の際にも、最後の最後までシステムが問題になっているようですし。



個人的には、今後も国内での製薬M&Aは進むと考えています。

国内1位の武田薬品でさえ世界10位に入れていない状況では、早晩国際競争から振り落とされるでしょう。

都市銀行があれだけ無理をして合併をしたのも、「今後の国際競争に勝つためには国内での小競り合いに終始している場合ではない」と判断したからでした。

ネームバリューが高いところであっても、今後はプライドよりも生き残りのための合併を選ぶ可能性も十分あると思います。


ただ、現在はどちらかというとマーケットの拡大や製薬分野の拡張など、「横の広がり」に巨額を投じている印象は否めません。

最近の主要案件は;

武田薬品:米ミレニアム・ファーマシューティカルを買収(88億ドル、約9000億円)
第一三共:印ランバクシー・ラボラトリーズを買収(約4000億円)
エーザイ:米MGIファーマを買収(39億ドル、約4000億円)

どれも、「製薬の確率2万分の1を改善するため」という方向にあるようには思えません。
苦手分野の強化、もしくは単純なマーケットの拡大に対して巨額を投資しています。

これだけ資金を消費してしまうと、国内の合併のための資金をどこから集めてくるのかという問題が起きます。


ただ、今後は会計の国際基準の導入によりのれん代を償却しなくて良くなるため、比較的合併はしやすくなるでしょう。


いつか私自身も、「2万分の1」を改善するための事業戦略に関わりたいと思います。

テストステロンが多い日はデイトレードに勝てる

テストステロンが多い日はデイトレードがうまく行くらしい。
(The Economist 17 Apr 2008)

記事の題名が「金融内分泌学 financial endocrinology」。

しかも元論文がPNAS。

nature に続き、PNASもネタのような論文を出すようになって来ました。

要点は以下の通り。

・ケンブリッジ大学のJohn Coates博士 とJoe Herbert博士は、デイトレードとホルモンの関係を調べるため、17人のトレーダーをボランティアで集めた。

・計測したのはテストステロンとコルチゾール。

・予測としては、平均より儲けた日には興奮してテストステロンが増え、損した日にはストレスによりコルチゾールが増える、はずだった。

・しかし結果は予想とは異なり、テストステロンは儲けた日の朝に高くなった。先行したのである。
・さらに、コルチゾールは損失ではなく不確定性に反応して高くなった。

・つまり、朝にテストステロンを計ればその日のトレードがうまく行くかどうかが予測でき、さらにトレーダーに向いているのは損をしてもストレスに思わない人、ということになる。



これは面白い。

テストステロンといったら男性ホルモンの一種。

やはりデイトレードは男性の方が向いているのでしょうか。

今後、儲けるためにテストステロンを注射する『ドーピング』が流行るかもしれません。

トレーダーの就職試験も、ゲームをやらせながらホルモン計測をするとかねw


追記:使える英語表現を発見。上記の記事の中で、「どちらの予測も適切ではなかった」という意味で、neither prediction was quite on the money という表現が使われています。moneyにかけてるんですね。さすが。

「事業化には研究者の広い視野が必要」?

4月7日号の『日経ビジネス』より。

田中耕一さんのインタビューが載っています。
要点を一部抜粋。

・私は二度失敗をした。一度は研究過程で。この失敗はノーベル賞につながった。
しかしこの発見の価値を会社も私も理解しておらず、実用化は他社の方が早かった。これが二度目の失敗。

・発見を事業化するためには3つの壁を越える必要がある。
1)その発見の価値を本人が気づくこと
2)その発見の価値を他人が認識してくれること
3)事業化のための資金収集
アメリカにはこれらのステップがシステム化されている。

・特定の分野を掘り下げるだけではなく、自分の研究を俯瞰し、異分野と融合させる必要がある。

・インターネットが普及するほど、対面コミュニケーションが重要になる。
アメリカのようにエンジェル投資家を増やすためには、「この人なら信用できる」という関係を研究者と投資家の間に作る必要がある。

・ゆとり世代を切り捨てようとする議論があるが、そんな威張ったことが言えるほど今の世代は立派な成果を出してきたのか疑問だ。
若い世代はもっと外に出て、研究一本ではなく複合的に評価されるべきだ。

(以上)

田中さんも、「研究者」から「事業者」に支点が移ってきたと思わせました。

昔の著作では、どうやって良い研究者になるかが説かれていて、事業家だの投資家だのという言葉はほぼ皆無でしたから。

それだけ、質量分析の事業化を他社に先行されたのを悔やまれたのかもしれません。



「研究者は視野が狭い。もっと広い視野を持って分野融合を」とは頻繁に聞かれる言葉ですが、思うに視野が広い人は研究の道を外れてしまう傾向が強いだけではないでしょうか?

だとすれば、掛け声は「研究者よ、もっと広い視野を持て」ではなく、「広い視野を持った人よ、研究に戻れ」になるのでは。


過去1週間で、生物系の修士/博士課程→金融業というキャリアを選んだ人を2人も出会いました。

しかも2人とも、「将来は研究者をサポートしたい」という目標を持っていました。

そこで思ったことが2つ。

・広い視野を持った研究志望者は、研究自体よりも研究のためのシステム作りに魅力を感じる傾向が強いのではないか?

・「迷ったら、他の人が選ばない道を行け」とよく言われるけれども(本誌のアステラス製薬会長のインタビューにもありました)実は私の選んだ道もごくありふれたものなのかもしれない。

サンプル数が少なすぎて統計的にはあまり意味を持ちませんが、人の考えることって大差ないんだな、と思わせるのには十分な経験でした。

意外に、将来は理系出身のファンドが増えて、研究はしやすくなっていくのかもしれません。

エセ科学、英単語帳にも進出

最近になって、英語の練習を再開しています。

これまでも英語には日常的に触れていましたが、「触れている」程度では上達が遅くて話になりません。
あと1年程で、海外研修を有益なものにできる程度の英語力をつける必要があります。

研究界では、「英語力が低くても、データが良ければ認めてもらえる」と仰る大家を何人も見てきました。

日本経済でも、「英語力が低くても、製品が良ければ認めてもらえる」という状態が長く続いてきました。

褒章をもらえるほどのデータや、世界を変えるほどの製品ならともかく、そうではないモノしか生み出せない一般大衆には、やはり英語は重要と考えます。

製造業ならともかく、サービス業となると世界に通用する日系企業が存在しないのも、英語力が大きな要因でしょう。

先日はベンチャーキャピタルの人に話を聞く機会があったのですが、曰く
・ベンチャーの多くはIT系と環境系である。
・上場後の株価上昇インパクトは、日本で約10倍、アメリカで約100倍である。
・この差は、同じITベンチャーでも、たとえばmixiは日本しか相手にできないのに対し、facebookは全世界を相手にできることから来ている。かかるコストが同じで、マーケットが10倍となれば、株価上昇率に10倍の差が出てもおかしくはない。

とのことでした。
確かに、サービスは特に言語操作能力が必要となるので、日本から世界に冠たるサービス業を生み出すのは難しそうです。


さて、以上はイントロ。

今日、本屋の英語勉強本コーナーで物色しているうち、妙な記事を見つけてしまいました。

Z会が出している、『速読・速聴 英単語 Advanced1000 Ver.3』。

最近改定されたようです。

このシリーズ、よく出来ていて、私も高校時代に愛用していました。

政治・経済・科学等、多分野の記事が紹介されており、その中の単語も一緒に覚えよう、というコンセプトです。

しかし今回(もしくは前回)の改訂で、ある科学系の記事が追加されていました。

例の「水」。

江○氏による『水は答えを~』についての記事でした。

「水に『ありがとう』と書いた紙を見せるか、『くそったれ』と書いた紙を見せるかによって結晶の形状が大きく違う」という、アレです。

この単語帳にある記事の要約は以下の通りです;

・氏の実験は、『二重盲検がされていない』という理由で、信憑性に疑問が呈されていた
・実際に二重盲検で調べてみると、氏の結果を否定も肯定もしなかった
・多くの科学者は、彼の実験を無視した
・しかしそれは哀しいことである。鍼などの東洋医学も、長い間『科学ではない』として退けられてきた。
・氏の研究も、少なくとも興味深い結果なので、しっかりと検証すべきだ。


いやいやいや。

何だかこれを読んだ瞬間、「負けた」という言葉が頭を掠めました。

この記事では、前提として「これは科学か、そうでないかの問題である」という立場にあります。

その上で、二重盲検などという立派な「科学的」手法を持ち出しています。

もうこの時点で、「水」派の勝ちです。

少なくとも読者を、「科学かそうでないか」のフィールドに持ってきたので。


この「水」の実験は、そもそも反証実験の必要さえありません。

「文字や音は、意味と一意につながるわけではない」ことを思い返せば十分です。

ある文字or音が、ある言語(orコンテキスト)では正の意味を持ち、他の言語では負の意味を持ったとき、結果はどうなるのか?

ある人が十字架のつもりで書いた「+」を、少し斜めから見ていた人が「×(バツ)」と解釈したら結晶はどうなったのか?

「良い言葉」「悪い言葉」の定義ができていない時点で、それは最初から科学ではありません。



佐藤優氏の言葉を思い出してしまいました。
(『インテリジェンス 武器なき戦争』や『地球を斬る』etcに掲載)

曰く、「竹島問題は、日本側に有利な状態で進んでいる。なぜなら、韓国側に『我々は竹島・
独島問題を共有している』ことを認めさせたからである。この種の領土問題では、ほとんどの場合は一方が問題の存在自体を認めない。だから、問題の存在を認めさせた時点で議論の素地が出来るので、こちらに有利なのだ」



そもそも科学以前の問題であるものを、科学のフィールドで議論させる人を増やしたのなら、それは氏の勝ち、なんでしょう。きっと。

英語教材のインパクトは意外に大きいので、その影響が心配です。
(本書はAdvancedなので、それなりに好奇心のある文系ビジネスマンが多く読みそう)

【BOOKS】『心脳マーケティング』

心脳マーケティング 顧客の無意識を解き明かす Harvard Business School Press心脳マーケティング 顧客の無意識を解き明かす Harvard Business School Press
(2005/02/10)
ジェラルド・ザルトマン



「心理学×脳科学の複合領域アプローチ!」

なんて銘打ってあるので、「脳科学の知見を生かしたマーケティング戦略の本なのかな」と期待して買うと、おそらくがっかりします。

私は残念ながら、そう期待した読者でした。

きっと「脳科学のアプローチ!」なんて言葉がなければ普通にマーケティングの本として楽しめたのでしょうけど。

本書の中から脳神経関係の用語を全て取り去っても、内容にほとんど差はないはずです。


しかも、脳科学関係の部分も、データに若干怪しい部分が見受けられます。

p47には「大脳皮質は、3000億ほどのニューロンを内包し」と書いてありますが、
大脳皮質にあるのは130億程度じゃありませんでしたっけ?

計測方法によって桁の一つや二つは変わってくるのかもしれませんけど。



神経経済学についてのまとまった本を読みたいのに、日本語だと見つかりません。

いや、そもそも外資系に就職する身なんだから英語で読めよ、

と自分で突っ込みたくはなりますが。




あ、マーケティングの本としては面白いんですよ、この本。念のため。

ある広告代理店は、社内コンサルティンググループのスタッフとして分子生物学、数学、フランス文学などの修士号取得者を登用したり、投資銀行経験者を起用したりして多様性を重んじた結果、3年で売上が倍になった、だとか。
(市場規模が倍になっただけ、などの理由も考えられるので、一概に因果関係を論じられませんが)

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