テストステロンが多い日はデイトレードに勝てる

テストステロンが多い日はデイトレードがうまく行くらしい。
(The Economist 17 Apr 2008)

記事の題名が「金融内分泌学 financial endocrinology」。

しかも元論文がPNAS。

nature に続き、PNASもネタのような論文を出すようになって来ました。

要点は以下の通り。

・ケンブリッジ大学のJohn Coates博士 とJoe Herbert博士は、デイトレードとホルモンの関係を調べるため、17人のトレーダーをボランティアで集めた。

・計測したのはテストステロンとコルチゾール。

・予測としては、平均より儲けた日には興奮してテストステロンが増え、損した日にはストレスによりコルチゾールが増える、はずだった。

・しかし結果は予想とは異なり、テストステロンは儲けた日の朝に高くなった。先行したのである。
・さらに、コルチゾールは損失ではなく不確定性に反応して高くなった。

・つまり、朝にテストステロンを計ればその日のトレードがうまく行くかどうかが予測でき、さらにトレーダーに向いているのは損をしてもストレスに思わない人、ということになる。



これは面白い。

テストステロンといったら男性ホルモンの一種。

やはりデイトレードは男性の方が向いているのでしょうか。

今後、儲けるためにテストステロンを注射する『ドーピング』が流行るかもしれません。

トレーダーの就職試験も、ゲームをやらせながらホルモン計測をするとかねw


追記:使える英語表現を発見。上記の記事の中で、「どちらの予測も適切ではなかった」という意味で、neither prediction was quite on the money という表現が使われています。moneyにかけてるんですね。さすが。

「事業化には研究者の広い視野が必要」?

4月7日号の『日経ビジネス』より。

田中耕一さんのインタビューが載っています。
要点を一部抜粋。

・私は二度失敗をした。一度は研究過程で。この失敗はノーベル賞につながった。
しかしこの発見の価値を会社も私も理解しておらず、実用化は他社の方が早かった。これが二度目の失敗。

・発見を事業化するためには3つの壁を越える必要がある。
1)その発見の価値を本人が気づくこと
2)その発見の価値を他人が認識してくれること
3)事業化のための資金収集
アメリカにはこれらのステップがシステム化されている。

・特定の分野を掘り下げるだけではなく、自分の研究を俯瞰し、異分野と融合させる必要がある。

・インターネットが普及するほど、対面コミュニケーションが重要になる。
アメリカのようにエンジェル投資家を増やすためには、「この人なら信用できる」という関係を研究者と投資家の間に作る必要がある。

・ゆとり世代を切り捨てようとする議論があるが、そんな威張ったことが言えるほど今の世代は立派な成果を出してきたのか疑問だ。
若い世代はもっと外に出て、研究一本ではなく複合的に評価されるべきだ。

(以上)

田中さんも、「研究者」から「事業者」に支点が移ってきたと思わせました。

昔の著作では、どうやって良い研究者になるかが説かれていて、事業家だの投資家だのという言葉はほぼ皆無でしたから。

それだけ、質量分析の事業化を他社に先行されたのを悔やまれたのかもしれません。



「研究者は視野が狭い。もっと広い視野を持って分野融合を」とは頻繁に聞かれる言葉ですが、思うに視野が広い人は研究の道を外れてしまう傾向が強いだけではないでしょうか?

だとすれば、掛け声は「研究者よ、もっと広い視野を持て」ではなく、「広い視野を持った人よ、研究に戻れ」になるのでは。


過去1週間で、生物系の修士/博士課程→金融業というキャリアを選んだ人を2人も出会いました。

しかも2人とも、「将来は研究者をサポートしたい」という目標を持っていました。

そこで思ったことが2つ。

・広い視野を持った研究志望者は、研究自体よりも研究のためのシステム作りに魅力を感じる傾向が強いのではないか?

・「迷ったら、他の人が選ばない道を行け」とよく言われるけれども(本誌のアステラス製薬会長のインタビューにもありました)実は私の選んだ道もごくありふれたものなのかもしれない。

サンプル数が少なすぎて統計的にはあまり意味を持ちませんが、人の考えることって大差ないんだな、と思わせるのには十分な経験でした。

意外に、将来は理系出身のファンドが増えて、研究はしやすくなっていくのかもしれません。

エセ科学、英単語帳にも進出

最近になって、英語の練習を再開しています。

これまでも英語には日常的に触れていましたが、「触れている」程度では上達が遅くて話になりません。
あと1年程で、海外研修を有益なものにできる程度の英語力をつける必要があります。

研究界では、「英語力が低くても、データが良ければ認めてもらえる」と仰る大家を何人も見てきました。

日本経済でも、「英語力が低くても、製品が良ければ認めてもらえる」という状態が長く続いてきました。

褒章をもらえるほどのデータや、世界を変えるほどの製品ならともかく、そうではないモノしか生み出せない一般大衆には、やはり英語は重要と考えます。

製造業ならともかく、サービス業となると世界に通用する日系企業が存在しないのも、英語力が大きな要因でしょう。

先日はベンチャーキャピタルの人に話を聞く機会があったのですが、曰く
・ベンチャーの多くはIT系と環境系である。
・上場後の株価上昇インパクトは、日本で約10倍、アメリカで約100倍である。
・この差は、同じITベンチャーでも、たとえばmixiは日本しか相手にできないのに対し、facebookは全世界を相手にできることから来ている。かかるコストが同じで、マーケットが10倍となれば、株価上昇率に10倍の差が出てもおかしくはない。

とのことでした。
確かに、サービスは特に言語操作能力が必要となるので、日本から世界に冠たるサービス業を生み出すのは難しそうです。


さて、以上はイントロ。

今日、本屋の英語勉強本コーナーで物色しているうち、妙な記事を見つけてしまいました。

Z会が出している、『速読・速聴 英単語 Advanced1000 Ver.3』。

最近改定されたようです。

このシリーズ、よく出来ていて、私も高校時代に愛用していました。

政治・経済・科学等、多分野の記事が紹介されており、その中の単語も一緒に覚えよう、というコンセプトです。

しかし今回(もしくは前回)の改訂で、ある科学系の記事が追加されていました。

例の「水」。

江○氏による『水は答えを〜』についての記事でした。

「水に『ありがとう』と書いた紙を見せるか、『くそったれ』と書いた紙を見せるかによって結晶の形状が大きく違う」という、アレです。

この単語帳にある記事の要約は以下の通りです;

・氏の実験は、『二重盲検がされていない』という理由で、信憑性に疑問が呈されていた
・実際に二重盲検で調べてみると、氏の結果を否定も肯定もしなかった
・多くの科学者は、彼の実験を無視した
・しかしそれは哀しいことである。鍼などの東洋医学も、長い間『科学ではない』として退けられてきた。
・氏の研究も、少なくとも興味深い結果なので、しっかりと検証すべきだ。


いやいやいや。

何だかこれを読んだ瞬間、「負けた」という言葉が頭を掠めました。

この記事では、前提として「これは科学か、そうでないかの問題である」という立場にあります。

その上で、二重盲検などという立派な「科学的」手法を持ち出しています。

もうこの時点で、「水」派の勝ちです。

少なくとも読者を、「科学かそうでないか」のフィールドに持ってきたので。


この「水」の実験は、そもそも反証実験の必要さえありません。

「文字や音は、意味と一意につながるわけではない」ことを思い返せば十分です。

ある文字or音が、ある言語(orコンテキスト)では正の意味を持ち、他の言語では負の意味を持ったとき、結果はどうなるのか?

ある人が十字架のつもりで書いた「+」を、少し斜めから見ていた人が「×(バツ)」と解釈したら結晶はどうなったのか?

「良い言葉」「悪い言葉」の定義ができていない時点で、それは最初から科学ではありません。



佐藤優氏の言葉を思い出してしまいました。
(『インテリジェンス 武器なき戦争』や『地球を斬る』etcに掲載)

曰く、「竹島問題は、日本側に有利な状態で進んでいる。なぜなら、韓国側に『我々は竹島・
独島問題を共有している』ことを認めさせたからである。この種の領土問題では、ほとんどの場合は一方が問題の存在自体を認めない。だから、問題の存在を認めさせた時点で議論の素地が出来るので、こちらに有利なのだ」



そもそも科学以前の問題であるものを、科学のフィールドで議論させる人を増やしたのなら、それは氏の勝ち、なんでしょう。きっと。

英語教材のインパクトは意外に大きいので、その影響が心配です。
(本書はAdvancedなので、それなりに好奇心のある文系ビジネスマンが多く読みそう)

【BOOKS】『心脳マーケティング』

心脳マーケティング 顧客の無意識を解き明かす Harvard Business School Press心脳マーケティング 顧客の無意識を解き明かす Harvard Business School Press
(2005/02/10)
ジェラルド・ザルトマン



「心理学×脳科学の複合領域アプローチ!」

なんて銘打ってあるので、「脳科学の知見を生かしたマーケティング戦略の本なのかな」と期待して買うと、おそらくがっかりします。

私は残念ながら、そう期待した読者でした。

きっと「脳科学のアプローチ!」なんて言葉がなければ普通にマーケティングの本として楽しめたのでしょうけど。

本書の中から脳神経関係の用語を全て取り去っても、内容にほとんど差はないはずです。


しかも、脳科学関係の部分も、データに若干怪しい部分が見受けられます。

p47には「大脳皮質は、3000億ほどのニューロンを内包し」と書いてありますが、
大脳皮質にあるのは130億程度じゃありませんでしたっけ?

計測方法によって桁の一つや二つは変わってくるのかもしれませんけど。



神経経済学についてのまとまった本を読みたいのに、日本語だと見つかりません。

いや、そもそも外資系に就職する身なんだから英語で読めよ、

と自分で突っ込みたくはなりますが。




あ、マーケティングの本としては面白いんですよ、この本。念のため。

ある広告代理店は、社内コンサルティンググループのスタッフとして分子生物学、数学、フランス文学などの修士号取得者を登用したり、投資銀行経験者を起用したりして多様性を重んじた結果、3年で売上が倍になった、だとか。
(市場規模が倍になっただけ、などの理由も考えられるので、一概に因果関係を論じられませんが)

武田のAmgen買収は失敗?エーザイのMGI買収はMA防衛用?

2月12日のBTJジャーナルより。

先日エントリーした武田役人によるAmgen社日本法人買収についての記事がありました。
結論は、今回の買収の影響力は大きくない、ということ。理由としては、
・武田はブロックバスターを得ていない上、獲得権益は国内にとどまる。
・抗がん剤のパイプラインはまだ米Amgen社が保有しており、どれだけ力を得たのか不透明
ということが挙げられるようです。

先週、武田薬品が米Amgen社の日本法人を買収したニュースが伝わったところ、米Amgen社の株価はNY市場で18セント下落しました。NYタイムズが9億ドル以上の契約だと見出しでもて囃したのにもかかわらずです。同紙の記事もよく読むと、米Amgen 社が先に第一三共にライセンスした抗RANKL抗体、デスノマブがブロックバスターであり、武田薬品の今回のディールは1種類の低分子の標的医薬を除き、日本国内だけの権利に止まったこともあり、世界レベルでの影響は少ないとの判断でした。
http://biotech.nikkeibp.co.jp/bionewsn/detail.jsp?newsid=SPC2008020452597 

 特に米Amgen社のESA(赤血球増加薬、エリスロポエチンやアラネスプなど)のがん患者に対する使用制限に、メディケア・メディケイドが積極的な支持を仄めかしているなど、Amgen社の利益の源泉であったESA市場がまだまだ縮小する可能性に対して、武田薬品から得た資金ではいかんともし難いという判断です。日本では成功物語のように喧伝している今回のディールですが、米国での反響は極めて小さいさざ波に止まっています。

 武田薬品も日本でこそ一挙に10数個の抗がん剤のパイプラインを導入できましたが、国内販売だけで、尚且つ米Amgen社が我が国での共同販売権もまだ保持しているディールです。これで満足しては20年前の海外からのライセンスモデルに先祖がえりしてしまいます。両者にとって今回のディールはなんだったのか? 10年後に検証が必要だと思います。



確かにモデルとしてはライセンスビジネスになってしまうのかもしれませんが、武田としては抗がん剤のノウハウを得られるだけでも大きな前進だったのではないでしょうか。
なぜなら、武田薬品は比較的抗がん剤が苦手だったからです。

なぜ抗がん領域に力を入れなかったのか?

ブロックバスター(売り上げが1千億円を越える薬)の開発には患者の多い生活習慣病の薬が良いとされ、高コレステロール血症や糖尿病に対する薬の開発に躍起になっていたからです。
今でも重点領域として武田・第一三共・アステラスは生活習慣病を挙げています。

しかし最近になって、エーザイが抗がん領域に本腰を入れ始めました。
MGIファーマを4300億円で買った理由は、MGIの抗がん剤開発能力を評価したからです。
エーザイが抗がん剤領域で力を伸ばしてくることに焦った武田が、後れを取らないようにとりあえず抗がん領域に強い会社を買収しようとした可能性もあると思います。


ただ、エーザイは技術が欲しくてMGIを買ったわけではなく、将来にわたってのれん代の償却や有利子負債の返済が必要な買収をしたかっただけ、という見方もあります。
つまりエーザイ自身が他社に買われないように、防衛策を取ったということです。
時価総額がわずか1兆円程度しかないエーザイは、大手製薬会社にとっては安い買い物。
少しでも買いにくくするため、負債を増やしたという見方があります。(FACTA2月号より)

一口に買収と言っても、技術のみならず買収防衛・会計操作など、様々な思惑が混じりますので、その評価をするのは素人には難しいように感じます。

研究評価基準「PF」とは

2月8日に配信されたBTJジャーナルは、産総研の倉地氏による「研究の評価方法について」。

インパクトファクター(IF)の代替手段としてのパースペクティブファクター(PF)という概念は、恥ずかしながら初耳でした。
どういった方法論なのか、もう少し調べてみようと思います。

以下、その節を引用。

IFは便利だが極めて雑な指標である。しかし、我国では研究評価の重要な物差しとして使われ、研究者個人の評価や国の研究費配分、国の将来政策決定等にまでも大きな影響を与え、研究者はそれに踊らされる現実がある。最近大庭氏らにより、IFとは異なった視点から、より実際を反映する優れた指標としてperspective factor (PF)が提案された(蛋・核・酵vol.50、270, 2005参照)。PFは、ある論文発表前後を比べて関連する分野へのその論文の影響を比較するものであり、IFより優れる。ただ、年期間に亘る追跡調査が必要な事や新研究分野の開拓に繋がるが長いリード期間を要する独創的研究の評価には限界がある、等の課題がある。数値による研究評価の難しさを改めて示すものだ。では、優れた研究評価の仕方とはどんなものなのであろうか。これまで機会あるごとに述べてきたが、米国NIHのピアレビューに見られる徹底した客観的討議による研究評価に勝るものはないと確信する。このピアレビュー過程には、研究の更なる育成と発展、進歩を促す機能も備わっている。IP等に頼らないこのような研究の価値判断と育成に対する基本的考えが、研究界は勿論、政府と社会一般に広く共有される事が重要である。



結局はピアフェビューが一番という結論になっています。
やはりボスが正しいのか・・・

製薬M&Aは終わった?<武田、アムジェン買収への株式を取得へ>

【NEWS】武田、米アムジェン日本法人の株式を取得へ

武田薬品がAMGENを買収するとのニュース。(Bloomberg 他)

私が投資銀行の面接を受ける際、「特にやってみたい分野はある?」と聞かれて「製薬のセクターに興味があります」と答えて少々議論になりました。

なのでこのニュースはとても印象的です。

以下、社員とのやりとり。

「私は、現在の製薬の開発効率は非常に悪いと思っています。
20年前の20分の1とも言われています。

一つの薬を開発するのにかかる時間は平均12年、かかるコストは800億円と膨大です。
この理由は、簡単に作れる薬は開発し尽くされて、現在は発見に時間のかかる薬品しか残っていないからです。

この状況を打破するためには、ある一つのミスをいくつもの会社が同じように犯していたら全体の生産性が上がりません。
R&Dを統合して、全てのミスを共有すれば、より開発のコストは全体として下がるはずです。」

「うーん、君の言ってることはわかるんだけど、けっこう古い話なんだよね。
2000年に入ってから大編成が行われて、もう2〜3年前に一段落しちゃった。
もうこれ以上やることがあるのか疑問なんだけど」

「いえ、私はまだ潜在性はあると思っています。
たとえば、現在では薬物を発見するための手法が機械化・ロボット化されてきています。
ならば、これまでのように製薬企業とばかり統合するのではなく、他分野の会社との統合は考えられないでしょうか。
たとえば、メカにクスに強い会社の一部を買収するという方法も考えられると思うのです。
そうすれば、より製薬に強いロボットが作れるようになって、やはり生産性が上がると思うのですが」

「ほお、それは面白いね。
でもそれは現在の経営の潮流には反してるんだ。
コングロマリット・ディスカウントって言うんだけど、現在の考え方では、一つの会社は一つのことに集中した方が良いという考えになってきてるんだよ。
昔みたいにポートフォリオを組んで何でもかんでも手を出すと言う時代ではないんだ。
もちろん、これは多分に時代が影響しているから、絶対とは言えないんだけど」

「でも、実際にGEは自社のエレクトロニクス部門をヘルスケア部門に生かせていると思うのですが?」

「あぁ、GEはね、経営学の中では異端扱いなんだよ。
『ウェルチだったからできたんでしょ?』的なね。
だからあまり参考にならないというのが一般の見方」

「はぁ、そうなんですか・・・具体的にどのような点が異端なのでしょう?」

「うーん、具体的にと言われるとパッと出てこないけど、大抵の定石を無視していたりするのは確か。

あと、君は会社や社会の生産性を上げることが目標と言うけれど、僕らの仕事は別に生産性を上げることじゃないからね。
本質的なのは資金供給。
もちろん生産性が上がってくれれば万々歳だけれども、必ずしもM&Aと結びつくものではない。
もう少しIBDの仕事をよく知ってもらう必要がありそうだね」

「あ、はい、勉強します」

(以上)


本当はもう少し議論はあったのですが、およそこんな感じ。

私がIBDの仕事を理解していなかったのは確かではあります。
(それでも大手外銀に受かるのですから、一体何を見られていたのかよくわかりません)

「もう再編は終わったんだよ」と言われた後に製薬M&Aのニュースを見るとちょっと嬉しくなってしまうわけです。

今回の買収はどこが主幹事なんだろう。

・・・

少し前なら、「今回の買収で、どんな薬が作られるんだろう」と真っ先に思ったのでしょうが、徐々に頭が金融で冒されて行きます。

ちょっと寂しい。

科学への好奇心は、死ぬまで持っていたい、なぁ。

イギリスの『化学』事情と、シエラレオネの教育事情

イギリスで化学を専攻している友人が嘆いていました。

「最近では chemistry がマッドサイエンティストの代名詞みたいになっとる!

メディアで chemistryという言葉が出てくるのは『化学兵器 chemical weapon 』の時だけ!

抗がん剤ができたら『医療の目覚しい進歩 breakthrough in medicine』、

伝道樹脂ができたら『材料科学の進歩 advance in material science』、

高温超伝導の時には『低温物理学の研究 study of low-temperature physics』、

全部 chemistryやないか!!



一般に『化学物質 chemical』というと『食料に含まれている有害な添加物』というイメージがあるらしく、もしその化学物質が体に良いなら

“anti-oxidant” とか “preservative”とか、

とにかくchemicalという言葉を使わないように表現されている、と言っていました。


化学のイメージも落ちたものです。

そのうち 、biologyと聞けば「生命をもてあそぶマッドサイエンティスト」というイメージが出来上がったりするのでしょうか。




また、シエラレオネで教師をしていた人はこんなことも言っていました。

「彼らは教育を切実に求めていた。

でも教育を受けて資格を得ても、社会に就職口がなくて結局は無職である場合が多かった。

彼らにとっては村に戻ってまた農業をすることは『敗北defeat』だったため、職の斡旋をさらに難しくした


なんだか日本の博士・ポスドク問題を彷彿とさせました。

 教育は得たけど職はない。
 教育を生かせない職に就くのはプライドが許さない。

みたいな。


さらに続けて言うには;

「でも歴史が教えるように、革命っていうのは『教育を受けた無職』によるものが多い

フランスやロシアが好例だよね。

普通の農家はただ耐えるだけだけど、教育を受けると“野望と期待”が生まれてしまう。

だから、職の受け皿のない教育はむしろ社会を不安定にする。

シエラレオネも革命が起こるかもね」


革命!

日本人にはない発想です。

そういえばピューリタン革命も知識人によるところが多かったのかな。
(でも無職ではなかったような)

ということは、そのうち全国のポスドクが蜂起して・・・


そんなわけないか。



しかしなぜ教育のある彼らが「職を作る」ことができないのか不思議です。

そこまでのノウハウはないから?

だとすれば問題は教育の存在ではなく、教育のレベルが中途半端であることなのかもしれません。

日本のポスドクも、起業できるくらいのノウハウも一緒に教え込めば職が一気に増加して・・・


いや、そもそも『非アカデミア=敗北』という雰囲気の中では、非アカデミアである起業の分化なんて醸成しないのかも。

就職することにした理由

久方ぶりの更新になります。


過去3ヶ月何をしていたかといいますと、

就職活動

をしていました。



はい、就職することにしたわけです。

半年前までは98%博士まで進む意気込みでしたが、
わずか半年で98%就職という状態に。

過去3ヶ月、書くことがなかったわけではなく、むしろ書きたいことがありすぎたのですが、私としては具体的な会社名を挙げて書きたかったので、責任回避の観点からSNSを利用していました。


以下に、就職することに決めた理由を書き留めておこうと思います。


1.ポジティブな理由

 1.2全人的に成長したい

 最初に「就職したい」と強く思ったのは、立て続けに魅力的な社会人とお会いした頃からでした。これが3ヶ月ほど前。

 その方々は、世界を俯瞰する視野を持ち、確固たるヴィジョンを持っていました。

話の構成や内容も論理的でした。

多忙の中、無償で一学生の私に対して何時間も時間を割いてくださいました。

過去に何度も苦難を乗り越えながら組織を動かしており、人を動かす力に優れていました。

そして私自身が「動かされた」一人になってしまったわけです。

社会でもまれないと、この力はつかない、そう思いました。

多くのトップクラスの人々に囲まれていないと、成長曲線は緩いままだ、とも思いました。

わずか数時間で、ラボで過ごす時間の何倍も「自分の成長」を感じられたからです。


実際、この見込みは間違っていなかったと思います。

会社さえ選べば、「トップクラスの人々に囲まれて、急激な成長曲線を描ける」という環境は夢ではないと感じました。

実際に、とある超一流企業のインターンに行って確信しました。

わずか1週間ながら、得たものは本当に大きかった。

ただ、誤算(?)だったのは、彼らのレベルがあまりに高く、私自身が彼らの要求水準に達していなかったこと。

これまでもっと自分を鍛えてこなかったことを悔やみましたね。

当然ですが、「他の学生と比べて」優秀でも何の意味もなく、「人間として」優秀でないと話にならないということを痛感しました。


そのインターンから帰った後は、さらに「就職しなければ」という意思を強くします。

研究室という空間は、会社とは別の次元で存在している、そう思わせました。


 1.2将来は研究室をバックアップするシステムを構築したい

この点については追々詳しく書きますが、ほんの少し外の世界を垣間見ただけで、研究界の問題はさらに鮮明になってしまいました。

・資金分配の手続きが不透明
・研究業績の評価システムの不在
・人材育成システムの欠如
・研究室経営の改善システムの欠如

どれも会社では論外です。

ただ、論外であるが故、内部の自浄システムが働くか、もしくは外部から監査やコンサルタントが入ることによって改善していきます。
そうでなければつぶれます。


研究室とは言っても、中規模以上のラボは中小企業並の資産規模があるのですから、中小企業診断士みたいな人が経営をアドバイスしても良さそうなものです。

しかしそのようなものは存在しない。

そもそも研究の評価自体が困難を極めるからです。

企業の場合、「売上」「コスト」など、数値化が極めて容易な要素を分析したら良いだけなので、評価はさほど難しくはありません。

しかしながら、研究自体の評価は現時点で数値化するシステムがありません。

(まさかIFを使うわけにもいかないし)

これにより、政府による杜撰な資金分配や、PIによる腐敗した経営を許してしまっていると考えられます。
なぜなら評価不能だから。
(その意味で、上記の「杜撰な」「腐敗した」という表現を使うべきではありません。評価できないのですから。しかし少なからぬ人がそう思っていることは事実)


よって、これらの問題の解決のため、研究の評価組織が必要と考えます。

S&P、ムーディーズ、R&Iのような組織の、研究バージョンです。

これにより、政府は評価の高いラボに対して資金を送りやすくなるでしょう。
評価の悪いラボに対しては、コンサルタントが入ることもできるでしょう。


ここまでの問題意識は、ボスと共有しました。

ただ、細かいところでボスとは意見が違います。

ボスは、以下のような方法を考えているようです。
「優秀な研究者を大量に集め、それぞれに対して額の大きな謝礼を払い、かつ匿名でその分野の研究の評価をしてもらう。それらの評価を総合する」

これにより、審査員一人ひとりの政治的バイアスは平均化され、
全体としては最も優秀なものが選ばれるだろう、というものです。
そしてこの評価組織は民間が複数つくり、互いに競争させる。
これで、評価組織が腐敗することも防げるし、評価の質も高くなる、としています。


対して私は、評価方法を極力定量化するべきだと考えています。
それこそ経済学のように。
IFは使い物にならなくとも、何らかの形で「数値」として出るような方法を確立したい。

なぜか。

一つは、評価の透明性が高くなるからです。

ボスのアイディアのように審査員に任せた形で匿名で評価させると、今度は評価組織側の政治的バイアスがかかりやすくなるように思います。
匿名であるが故、全研究者に対して特定の指向を持った評価をさせることも可能になるように思います。
複数の評価機関に競争をさせればいいと言いますが、もっとも政治力のある機関が寡占してしまったらどうするんでしょう?


もう一つは、客観的な評価は研究を投資市場とつなげる可能性があるのではないかと考えているからです。

研究のリスクの証券化

たとえば、ある研究者が、1000万円を使って何らかの研究をしたいとします。
そして企業に対し、「もしこの研究が成功したら、1200万円の資金をくれ。成功したらこの業績は御社の業績にして良い。失敗したらお金は要らないし、責任も御社にはない」と言うわけです。

そして最初、この1000万円は証券化して株式市場から資金を集めます。

たとえば1000人から1万円ずつ集める。

そして、この研究が成功すれば、1000人それぞれに1万2000円を渡す。
失敗すれば、各々が1万円の損をすることになります。

これにより、企業は失敗のリスクを負わなくて済みます。
成功した研究にだけお金を払えばいいのですから。

同時に、投資家も、ポートフォリオを組めばこの証券に投資をする可能性は十分にあります。リスクが減りますから。


そしてこのときに重要なのは、「成功」をどう定義するか。

通常の投資は、「利益が上がった」など、もともと数値化されていますが、
まさかこの研究投資は「研究者達が主観で選んだ」などとは言えません。
客観的な数値化が必要になります。


このシステムができれば、今とは違って小規模の研究もできるようになると思うのですよ。
それこそ、小規模の会社に投資するのと同じようなものですから。
現状の地方大学のように、コピー代さえもないという状況はかなり改善されるのではないでしょうか。


この私の案に対しボスは、「研究業績の数値化自体が不可能だ」と切り捨てます。
まぁ、その思ってしまうのもわかります。

しかし、科学なんて要するに自然の数値化の作業なんですから、自然の一部である人間の営みの数値化が不可能だなんて、そんなことはないと思うな。



とにかく、この部分は議論中です。

ボスには、「まず君がノーベル賞を取るなり何なりして権威を獲得すれば、評価機関も創りやすくなる」と言われました。

学振を超えて「まずノーベル賞」とうアドバイスが素晴らしい。
でも役に立たないス。すみません。

でもボスにはとても感謝しています。
「評価機関はいかにあるべきか」という話題で2時間も議論に付き合っていただけるのはとてもありがたいことと思います。

また、さすがに「評価機関に関しては、過去何年も考えてきて、提言もしてきた」と仰るだけあって、現時点では当然私の案よりもボスの案の方が現実性が高いことを認めねばなりません。


がしかし、いずれにしろ研究界にいたままではこの構想は実現しそうにないと判断しました。


 1.3早く経済的に自立したい

はい、本音です。

もっと具体的に言うと結婚とかね。やっぱ考えちゃいますよエェ。


大体、日本トップクラスの院生に対する給与が20万円って何なんですか。

同じ年齢のトップクラス会社員の給与は軽く倍以上ですがな。

私、何だかんだで月に26万円以上の収入が安定的にあるのですが、それでも今より生活水準を極端に落とそうと思えません。

月に5万円を超える本代などを何とかすればいいのかもしれませんが、知的投資の制限を強いられる『研究員』って、一体何なのか疑問です。

(ただ、現在志望している組織の一つは、もとは政府機関だったので、月給17万円というとんでもない数字をたたき出していました。バイトやんけ。日本の根幹を支える仕事なのに)

というわけで、仮に私が超優秀で、DC1を取れるという(とてもハイリスクな)前提をおいても尚、経済的には研究者は相当魅力が落ちます。



 2. ネガティブな理由

正直なところ、研究会をとりまくこの鬱屈した雰囲気からは逃げたい。

バイオが特に異常なのかもしれませんが。

ラボは決して暗くありませんが、それでも将来の話は実質的にタブー。
ブログ界における暗澹たる雰囲気は言わずもがな。
最近はメディアでも騒がれる始末(しかも「院生もっとしっかりしろよ」というトーンで)。


そりゃ研究は楽しいですけどね。

生活全体の充実感は、仕事単体では決まらないと思うんですよ。

同じ事務でも、明るい市場でやるのと暗い市場でやるのではだいぶ生活の満足感が異なるはず。

なので私は「仕事」だけでなく「仕事環境」も重要視したいんです。

病院でフランス料理を食べるよりは
ディズニーランドでおにぎりを食べたい派です。

(あ、研究界が病院だと言いたいわけではなく。確かに院は病んでますが)


過去20年間目指してきた科学者への道を絶つことに抵抗がなかったのかと言えばウソになります。

(過去20年は言いすぎかな。でも3歳の時点で既に父親から『ハーシェルの銀河』という言葉を刷り込ませられ、幼稚園の時には「将来は天文学者」と言っていたのは覚えているので、あながちウソではあるまい)

しかし、私が知りたいことはそもそも科学に限りません。

政治・歴史・経済・文化・宗教・・・

人間の営みの一環として科学を見るなら、むしろ科学界にいてはいけないとも思いました。



あと、「会社でも辛いことはたくさんあるよ。僕の同期でもうつ病で休んでる人を3人知ってるし」

なんて話を聞きますが、それがどうしたと。

私が知っているだけでも、うつ病or失踪で姿を見せない院生が5人いますが?

企業人から聞く「苦労」の多くは、
(1)将来の成長に必要な苦労か
(2)研究界にいても被る苦労 
のどちらかです。

それなら私は(1)を選びたい。

(2)にしたって、将来性と給料のバックアップのある環境で受けるストレスなら、いくぶんマシではないかと。



ある先生が、
「株とか証券とか、博打みたいなことに僕は興味がない。君はそんなことやりたいの?」

と仰いました。


興味がないのは構わないのですが、株よりも研究者の道を選ぶことの方がよっぽど博打な気がしてしまいます。

(そして、「投資は博打」という概念自体が時代の古さを感じさせます。大抵、就職を阻む先生方の言葉は、就職へのモチベーションを助長させるものでしかありません)





というわけでワタクシ、現在就職活動中です。

非常に充実しています。

既に50社以上の会社の説明を聞き、100人以上の社員と話をしましたが、
社会に出るのが(恐ろしくもありつつ)楽しみで仕方がありません。

あとは、第一志望に受かるかどうかということと、修論は大丈夫だろうかという不安が残るのみです。

場合によっては、上に挙げた「就職することにした理由」を全て満たす研究室が見つかるかもしれませんので、100%就職とはいきませんが、ほぼ100%就職です。

長くなったので続編はまた。

【BOOKS】『高学歴ワーキングプア』

高学歴ワーキングプア  「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)
(2007/10/16)
水月 昭道



副題は「フリーター生産工場としての大学院」。

「ニートの生産工場」としなかったのはせめてもの気遣いか。

いわゆる「ドクター・ポスドク問題」を取り上げた一冊です。

正直なところ、データも分析も提言も種々のブログのレベルを超えておらず、
新しい発見はさほど多くありませんでした。

”著者略歴”には、「任期が切れる2008年春以降の身分は未定」(現在は非常勤講師)とあります。
被害の当事者として書いているという意味なのでしょう。
本書の中身も憤怒で満ちていますし。

著者の焦点は、著者の言葉を借りれば
「二流大学から二流大学大学院に行った人」や
「二流大学から一流大学大学院に行った人」に向けられており、
「一流大学から一流大学大学院に行った人」に関してはほとんど語られていません。
(著者による「一流」の定義は「旧帝大」)
わずか数行、「この人たちは最もフリーターを回避できるチャンスがある」と言及されているに過ぎません。

いや、それはどうなのかと。
是非とも、「一流大学から一流大学大学院に行ってもなお苦しい」という人々もインタビューして欲しかった。
そっちの方が危機感を煽れるでしょうに。


本書では、博士号を取ったのに苦しい生活をしている人々の様子が語られるわけですが、私が愕然としたのはそういった「問題提起」の部分ではなく、著者が「希望もあるよ!」と訴えている章でした。

「大学院のいいところ」の一つとして、「コミュニケーションの達人へ」という節が設けられています。

曰く。
「実は大学院では、常識をとても大切にした教育がなされているからだ。
 挨拶に始まり、研究室の掃除や資料の生理整頓、指導教官へのお茶くみ、気の利いた会話、先輩は後輩への気遣い、事務職とのお付き合い、会議などの準備・手配や飲み会等の仕切り、など。いわゆる下積みというものを、何年もの間にわたり経験させられるのが、大学院生の普通の生活なのだ」


これは衝撃的。

何ですか指導教官へのお茶くみって??

会議の手配って???

しかも「大学院生の普通の生活」????

初耳なんですけどっ!

もはや「下積み」というよりアカハラに聞こえてしまう。

そこらの企業や職人の「下積み」と違って、大学院生は金を払っているんですよ。

金ヅルをこき使うなんて、そんなのアリ?


(まぁ確かにうちのように、試験管etcまで洗ってくれる人が存在するのが良いかと言われると大いに議論の余地はありますが。)


この状況が、「大学院の希望」として真剣に(皮肉ではなく)語られているところに、問題の深刻さを感じました。