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経産省:「基礎研究者は30年先のヴィジョン示して」

経済産業省の企画官の方の講演を聞きに行きました。

テーマは経産省の技術開発計画。

内容はとても興味深いものでした。

その分、突っ込みどころが多くありまして。


たとえば、過去の計画の説明における以下のお言葉。

「平成8年から12年の計画時には、昔問題になったポスドク1万人計画が出されたわけですが」


ん?昔?

いや過去の問題にされても困るのですが

と突っ込みたいのをこらえました。




しかし基本的にこの方は基礎研究を擁護する立場で話されていたので、その点で参考になる点は多くありました。

最近、企業による大学向けの競争的資金の枠も増えていますが、大学による申請の内容が『企業的になっている』ことが企業としては不満のようです。

おそらく大学は、企業に気に入られようとしてそのような計画をしているのでしょうが、企業的な開発研究なら自社でできるから必要ない、と。

大学には大学らしい基礎研究をして欲しい、とのことでした。

過去10年ほど、企業は基礎研究から開発研究のほうに軸足を移していたわけですが、そのツケが現在ボディーブローのように効いている、という話もよく耳にするそうです。



しかし財務省は、『研究費に金を投じるのは砂漠に水をまくようなもの、一体何が出てくるのかわからない』という意識から全く抜け切れていないらしく、
従って研究者は社会に対して「これから何が出てくるのか?」という点を明確に示していく義務がある、と強く強調されていました。

それも10年~30年の戦略を。



30年て。



3年先が闇であるビジネスの世界の人が聞いたら卒倒しそうです。


しかしこの発言に違和感を持ったのは私だけではないらしく。

「30年の間には世代交代が起きるから次の世代がその研究を継いでくれる保証が必要だが、そんなことができるのか」

という突っ込みも入ります。

それに対しては「研究者が30年先のビジョン、見通しを示せば大丈夫」と。

ほんまかいな。

ビジョンがあっても、『生きていけそう』という感覚を伴わないとなかなか人は来なさそうに思うのですが。




30年ってすごいですよ。

逆に30年前の状況を考えてみればわかります。

ソ連でポリウォーターなるものの研究がブームだった時期(30年以上前ですが)に、「30年後にはこの研究はこうなる!」と妄想していた研究者は涙目。二重の意味で。

ポリウォーターの存在自体がかなり早い段階で間違いだと判明した上、

30年も経たないうちにまさかソ連という国家の存在が消えるなど誰が想像したでしょう。


よくよく考えると、研究予算の枠は政府の「重点分野」云々で決まってくるので、むしろ政府に「むこう30年、どのような計画で予算を配分なさるのですか」と聞きたい気もします。

と言うと

「その計画を立てるために皆様研究者の計画が必要なのです」と言われそうですが。

しかし何を重点化すべきかというのは多分に社会的な問題であり、科学者が決定すべきところではない気もするんですよね・・・



等々、突っ込みどころはたくさんあったのですが、この担当者の方は「研究者と対話しよう」という姿勢が滲み出ていて非常に好感が持てました。

突っ込みようがないような、単なる事実の羅列にすることも可能だったのに。

「問題提起」や「行動の提案」まで突っ込んでプレゼンテーションされていたからこそ突っ込みどころが出てきたのだと思われます。
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2万分の1:新規化合物が新薬になる確率

某大手製薬会社の幹部と話をしてきました。

大学へ講演に来てくださり、その後の懇親会でいろいろとお話を伺うことができまして。


講演の一節に、製薬にかかるコストのことがありました。

日本の主要製薬会社18社の過去の製薬開発を見てみると、

1つの薬を開発するのに9~17年、平均500億円がかかっているそうです。


2万種類の新たな化合物を合成しても、

臨床段階を通過するのが3種類

申請段階に到達するのが2種類

最終的に承認されるのが1種類

平均して2万分の1しかないと。


以下、その幹部の人とのQ&A。

Q:この2万分の1という確率は海外でも同じなのですか?

A:およそ似たようなものです。

Q:この確率を上げるためにどのようなことをされているのですか?

A:会社ごとに、データのライブラリーを交換したりして、ネガティブデータの共有を図っています

Q:交換されるライブラリーは等価値なのです?

A:そもそもライブラリーの形式などが会社によって全く異なるため、比較自体が難しい状況にあります。
まだ活発に交換されているとは言い難く、今後の課題となるでしょう。

Q:昨今、日本の製薬会社が海外の会社を買収する案件が続いていますが、あれもこの確率を高めるための戦略なのでしょうか。

A:戦略は各社によって異なるので、必ずしもそうとは限らないと思います。
自社の持っていない技術を買うためということもあるでしょうし、単純にマーケットを広げたいという意向で買収している場合もあります。

Q:一部の会社は、買収する会社自体が主目的ではなく、買収する際に抱える負債によって自社が買収されることを防ぐことが目的と言われていますが、そのようなこともありうるのでしょうか。

A:ありうると思います。実際には多くの思惑が絡んでいるので一概にどれが主目的かは断言できないでしょうが。

Q:今後も製薬企業のM&Aは進むと思いますか?

A:わかりません、進む可能性もありますが、国内の製薬企業は過去数年の吸収・合併のごたごたからやっと落ち着いてきたばかりです。
これからまたさらにあの喧騒に突き進むのはかなり勇気が必要かもしれませんね。

Q:やはり合併は大変だったのですか。具体的にはどのようなところが?

A:それはもう。大変なのは主に人事とシステムですね。
合併までの1年間は研究部門も研究に専念できていたわけではありません。
特にシステムが大変で、2つの会社のシステムを統合するのは一筋縄ではいきませんでした。

Q:今後、海外の製薬会社や他社のライセンスを買収することで、研究開発費を削るという方向性は考えられますか?

A:それはありません。
株主の方々からも同じような質問を多く頂きますが、研究開発費は会社の根幹ですから、ここの手を緩めることはありません。

Q:ありがとうございます。
ちなみに、御社が先ほどのように講演をしてくださるのはありがたいのですが、御社にとってのメリットはどのようなところにあるのでしょうか?

A:一つはCSR。ただ、CSRとは別に、製薬会社は社会との接点を失うと生きていけないと私は考えています。こういった場で皆様のご意見を頂ければ、必ず弊社の成長に役に立つと考えています。


(引用終わり)


統合時の人事の話をもっと聞きたかったのですが、さすがに憚れたので詳細は聞けませんでした。

合併時の人事は、こう言うと不謹慎かもしれませんが人間ドラマが詰まっているので興味津々です。

システムに関しては、「やはりシステムがネックなのか」という感想を持ちました。

都市銀行の統合の際にも、最後の最後までシステムが問題になっているようですし。



個人的には、今後も国内での製薬M&Aは進むと考えています。

国内1位の武田薬品でさえ世界10位に入れていない状況では、早晩国際競争から振り落とされるでしょう。

都市銀行があれだけ無理をして合併をしたのも、「今後の国際競争に勝つためには国内での小競り合いに終始している場合ではない」と判断したからでした。

ネームバリューが高いところであっても、今後はプライドよりも生き残りのための合併を選ぶ可能性も十分あると思います。


ただ、現在はどちらかというとマーケットの拡大や製薬分野の拡張など、「横の広がり」に巨額を投じている印象は否めません。

最近の主要案件は;

武田薬品:米ミレニアム・ファーマシューティカルを買収(88億ドル、約9000億円)
第一三共:印ランバクシー・ラボラトリーズを買収(約4000億円)
エーザイ:米MGIファーマを買収(39億ドル、約4000億円)

どれも、「製薬の確率2万分の1を改善するため」という方向にあるようには思えません。
苦手分野の強化、もしくは単純なマーケットの拡大に対して巨額を投資しています。

これだけ資金を消費してしまうと、国内の合併のための資金をどこから集めてくるのかという問題が起きます。


ただ、今後は会計の国際基準の導入によりのれん代を償却しなくて良くなるため、比較的合併はしやすくなるでしょう。


いつか私自身も、「2万分の1」を改善するための事業戦略に関わりたいと思います。

bpといえば・・・

一度金融の世界に身を浸すと、語彙体系をバイオに戻すのに少々時間がかかります。


1年前は「40bp」という文字を見ても「40ベースペア」としか読めなかったのに、今では「40ベーシスポイント」が最初に思い浮かびます。

(ベーシスポイントは一般に0.01%のことですが、金利の単位として広く使用されています)

無論、「株」もstrainに代わってstockの意味が最初に来るようになってしまいました。

他には
「CD」(円偏光二色性→社債)、
「TB」(結核→米国短期国債)
などなど。

もはやニューロンの電位グラフが株価チャートにしか見えなかったり





「ついにこいつも金儲け主義の株屋に成り下がったか・・・」





という声が聞こえてきそうなのですが、それは偏見です。(たぶん)

なぜ?

1点目。
株や債券を扱っていることと、株や債券で儲けていることは全く別のことです。

マーケットと呼ばれる部門は確かに株や債券でも儲けていますが、投資銀行部門と呼ばれる部門は株や債券の売買で儲けることはしません。

お客様である企業に対して、M&AやMBOなどの戦略を提示し、その道具として株や債券を使用するだけです。

あくまで道具。

儲けの源泉はアドバイス料(手数料)。

「ピペットマンを使って実験する」のと「ピペットマンで儲ける」ことが全く異なることに似ています。

そりゃ確かにピペットマンなしには実験は進みませんが、しかしそれはピペットマン至上主義になったことを意味しません。

ちなみに私が所属するのもこの投資銀行部門。

よって、株や債券で儲けることにはあまり興味がありません

他の社員もあまり興味がないように見えます。

そんなことよりもお客様の業績が上がるスキームを提示することにエネルギーを使ったほうがよっぽど儲かりますし。


2点目。
そもそも株屋はダメなのか、と開き直ってみる。

確かに証券業界の中でも、株や債券で儲けるトレーダーの地位はあまり高くないのではないかという印象を受けます(給料は高いですよ)。

「彼らの行為は産業の大局的な構造変化には何ら寄与しない」等、理由は様々あるようですが。

実際、日本とは異なり欧米ではトレーダーはあまり学歴の高くない人が就く職業という事情もあり、その当たりの文化が輸入されている可能性もあります。

(さらに、トレーダーの中でも「テクニカル分析」を信奉する流派と実体経済を重視する流派で真っ向から対立しており、お互いがお互いを蔑視する傾向にあります)

がしかし。

株屋がそんなに悪いのかと。

バブル期のせいで「株は危ない」という認識が日本にいまだ蔓延していますが(株に「手を出す」という表現がその意識を象徴しています)そもそも株というシステムは経済に不可欠です。

たとえるなら、塩分の過剰摂取で死にかけた人が「塩分は危険だ」と言って塩分を遠ざけることに似ています。

それは塩分が悪かったんじゃなくて塩分の扱いが悪かっただけだろう、と。

「株屋」は経済の栄養を循環させる役割を担っているわけで、「成り下がった」という表現が当てはまるような職業とは思いません。

ピペットマン職人は、研究のイノベーションには寄与していませんが、研究のスピードアップには貢献しているわけですよ。

(しかも、悪意を持てばピペットマンの価格を不当に高めることだって可能です)




そんなわけで、金融で働く人々を見る目がせめて生暖かくなってくれるといいな、と思う今日この頃です。


(あ、でも研究者志望だった学生が投資銀行に流れ込んでいる現状は素直には喜べません。この件はまた後日)

組織の力

投資銀行のインターンに行ってきました。

もう楽しかったの何のって。

いろんな価値観や世界観が書き換えられました。



「研修みたいなものかな?」と思ったら、全く違いました。

新入社員と同じような仕事を割り当てられます。

「わからないことがあったらその都度質問してね」という体制でした。

わからないことも何も、何もかもわかりません、という状態だったのですが。

その分、毎日が刺激に溢れていました。

これまでわからなかったことが次々に氷解していく快感。

それ以上の速度で増えてゆく疑問。

世界はこんなにも面白かったのか、と思わざるを得ませんでした。


大学のサークルでディベートをしていたこともあって世界情勢にはもともと興味が強かったのですが、「世界情勢が目の前で、リアルタイムで動いている」ことを感じる興奮は全く別物です。

将来は自分もその情勢を動かせる立場になるのか、なんてことを妄想するのもまた一興。


サラリーマンには夢がないなんて誰が言ったのか

いや、私が洗脳されていただけかも。

「サラリーマンみたいに、組織の歯車になって一生を終えるなんて絶対に嫌だ。俺はたとえ一人になっても、真理を解明してやる」

そんな意気込みの研究者が周りに多かったからかもしれません。


それは違う、と今なら言えます。

組織の歯車になることと、夢を追うことは別の問題です。

(そもそも現状で、研究者に『夢』が溢れているかという点でさえ疑問符がつきます)

組織の強大な力を使わないと実現できない夢はこの世にたくさんあります。

むしろ、一人でもできるようなことはほとんど達成されてしまったのではないでしょうか。

達成しようとすることが難しくなればなるほど、組織の力が必要とされます。

物理学、特に素粒子論に見られる、数百人もの著者が並ぶ論文を昔は同情の目で見ていました。

「この人たちは研究をやっていて楽しいんだろうか?1人の役割は全体のほんの一部でしかないのに」と。

今は違います。

これだけの人数を組織して、全員が一つの仕事のために勢力を尽くすことができたことに対してエールを送りたくなります。

「第一著者になれなかった」とふて腐れている人だけではなく、「研究者として、真実の解明に貢献することができた」ことを誇りにしている人もいると信じます。

これまでは軽蔑していた、「組織化された研究室」も、一つの形態としてアリだと思うようになりました。


なんて青いことを語っていたら、こんな反論が。

「でも会社って、仕事を頑張って組織全体の業績があがれば自分の給料も上がるっていうモチベーションがあるでしょ?研究者の場合、研究室全体で成果が上がっても自分が第一著者になれなかったらほとんど意味ないじゃん。モチベーションが生まれないよ」

それは一理あって、研究者の場合には早い段階で「第一著者」(会社で言う“プロジェクトリーダー”クラス)になる必要があるため、それに資することのない仕事にはやる気が起きないもわかります。

であるならば、ある1つの研究に対して、「第一著者の称号が欲しい人」は2人くらいにとどめておいて、他の人は論文を出す必要がない人々(テクニシャンや就職希望の修士課程生等)で組織すればよいと思います。

そうすれば、1人ずつが単独で行動した場合よりも2倍以上効率は良くなるはずで。

そうすれば2人とも第一著者になれる確率が高まります。

「でも、特定の仕事しかしないなんてつまらなそう」

それはマネジメントの問題と考えられます。対応としては
1)特定の仕事だけやっていればいいという人を採用する
2)特定の仕事であっても工夫次第で汎用的な能力がつくことを示す
3)一定期間ごとに仕事内容を変える
など、方法は多様です。

従業員(研究者)のモチベーションの高低は、組織化されているかどうかではなく、マネジメントの良し悪しに関わってくるものです。

単独だからモチベーションが高まるというわけでもありませんし。


「けれども、研究室は企業と違って命令系統を明確化できないから、そんなにうまくいかないんじゃないか」

これはその通りだと思います。

企業は(少なくともうちの会社は)命令系統が極めて明確であるため、意思決定も早い上に、余計な混乱が起こりません。

大学は、そもそも大学院生は教授の命令に従う義務があるのかどうかという点でさえ非常に曖昧な状態にあります。

そもそも院生は大学にお金を払う立場。

そして教授は大学からお金をもらっている立場。

しかしその研究費は教授自身の力で獲得したものであり、院生はその研究費を使用している。

・・・何とも複雑です。

これでは(真っ当な神経を持った)教授なら、研究室を組織化して院生を命令系統の下に置くのを躊躇っても仕方ないでしょう。

逆に、現状でも研究室を組織化できるのはこの構図に鈍感なPIだけだからこそ、院生を不当にこき使うことも厭わないのかもしれません。

そのおかげでますます悪化する「組織化」のイメージ。

それは「組織」という形態が悪いのではなくて経営者がダメなだけだ、と言いたい気分です。



そんな感想を持つくらい、インターン先の会社は組織が上手く回っていました。

仕事が速い速い。

イメージとしては、毎週1本の卒論(分析報告書)が書けるほどです。

しかし入社後に求められるのはさらに桁違いの速度らしく、今の私にはそれがどのような世界なのか想像もつきません。

「研究5カ年計画」などという安穏とした雰囲気は二度と堪能することはないのでしょう。

5年先なんて、会社の存続自体が誰も予測できない時代なのに。

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