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このブログの方向性

生物は不思議に満ちています。

そもそも、「なぜヒトという生物は『不思議だ』と思えるのだろう?」
ということ自体も不思議です。

「不思議だ」と思えるためには、まず何かを理解して、
その理解が従来の理解と食い違う必要があります。

不思議、を理解するためには、「理解」を理解せねばなりません。



「世界のあり方よりも、世界の存在自体が不思議である」と言った哲学者、
ウィトゲンシュタイン。

「なぜ私たちは世界を理解できるのかが最も理解できない」と言った科学者、
アインシュタイン。

ともにこの世の原理を考え抜き、多くのことを理解してしまったがゆえに、
最大級の「不思議」にたどり着いたのでしょう。



そもそも理解とは何なのでしょう?


「理解とは、点と点だった情報が線で結ばれることである」
という文学的表現は、抽象的すぎて「理解」の実体がつかめません。

「理解した瞬間には脳神経の活動が一気に落ちる」
という論文は、脳神経と理解の関連性を一切説明しておらず、やはり「理解」を理解できた気になれません。


今は空前の「脳」ブームですが、本当に「脳」を調べたら「理解する」が理解できるのでしょうか。
脳を勉強すればするほどそんな疑問が強くなっていきます。

脳科学には大別して2つのアプローチがあります。
一つは、fMRIなどを用いて、全体的な活動を見ること。
もう一つは、脳を構成している神経の仕組みを知ること。

前者は、「脳」を研究している気になれますが、証明が著しく困難なアプローチです。
「脳のこの部分が光りました」という現象から語れることは極めて限られるからです。
たとえば人工衛星から見た「夜の世界地図」は、まさに「どの地域が光っている」ことを見た地図ですが、ここから語れる社会現象は限られているのと似ています。

後者は、強固な物理化学に支えられているため、比較的「証明」が容易なアプローチです。しかし「脳」を研究しているとは言えないという弱みがあります。
「神経」は「脳」ではないからです。
一つや二つの神経の活動がわかったところで、億単位の神経ネットワークである脳は理解不能です。
一人の人間を調べたところで社会は理解できないことと似ています。

いわゆる、複雑系。
「全体を見ても仕組みがわからない」
「構成物を調べても全体がわからない」
物理学が30年前に直面した困難に、いま脳科学も直面しています。

複雑系は、「これまでの科学の理解のしかた」自体に挑戦する営みです。
しかし、「新しい理解のしかた」が妥当かどうか、どのようにして理解しうるのでしょう。

理解のしかた、の理解のしかた・・・。
無限後退の様相を呈しています。


生命とは何か。
どうしたら生命を理解できるのか。
何を以って「理解」と言えるのか。
なぜ私たちは「理解」できるのか。


実験に勤しみつつ、そんなことを考えながら研究生活を送っています。



本ブログでは、徒然なるままに、主に次のテーマでエントリーしていこうと考えています。

1)生命科学の本に関する書評・所感
2)気になるサイエンス・ニュース
3)おもしろかった論文
4)研究生活の雑感
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