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【BOOKS】『新しい科学論』:白衣の聖職者、神即自然、無神論

新しい科学論―事実は理論をたおせるか 新しい科学論―事実は理論をたおせるか
村上 陽一郎 (1979/01)
講談社

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1979年に発行された本です。

題名は「新しい」科学論、となっていますが、内容は
「『事実』というのは理論に対して中立ではなく、理論に合わせて事実が現れることもある」
という、現在ではかなり常識化した考え方です。

しかし、未だに売れ続けているだけあって、議論を補足するために使われる例がおもしろい。
教養に溢れています。
「なんとなく頭がよくなった気がする」
と思えるメリットを享受できます。

加えて、
「キリスト教はいかにして科学を生んだか」
「現在の科学にはなぜキリスト教の影が薄いのか」

という点について、納得のいくストーリーを提示してくれています。

以下、特に興味深かった点のピックアップ。
(色文字箇所=引用)

「ここ十年ばかりで明らかになってきたのは、『科学者』=『白衣の聖職者』という図式が現実に崩壊しつつあるということです。」

「白衣の聖職者」??
初めて聞く表現です。
何ですかそれ。
まだ「白衣の天使」の方が、かろうじてリアリティを残しています。

当時よりも10年前、つまり1960年代では
「科学者とは、真理だけを追い求め、ひたすら人類の幸福のみを目指して行動する高潔な志士」
と思われていたようです。

翻って現在。
私は8月に行われる生化学 若い研究者の会に参加するのですが
そこのワークショップの一つはこんな題名です。

『研究下流社会をぶっとばせ!』

・・・聖職者から一気に下流に落ちてます。デフォルトで。
恐るべし、研究者のインフレ。


「コペルニクスの地動説を書いた書物、『天球の回転について』は、当時の教会から出版許可をもらっているばかりでなく、フロムボルクの教会から出版の後押しさえしてもらっているのです。
(中略)
コペルニクスの『天球の回転について』を読んでいて気づくことは、彼の頭の中には常に、この世界を支配しているのが(キリスト教的な)神である、という基本図式が存在していたことです。
この世界を神が造ったこと、そのとき神は整然とした秩序をこの世界に与えたこと、そうした美しい神の秩序は、自然の中の至るところに読み取ることができること、そうした基本図式こそ、コペルニクスの「先入観」であり「偏見」でありました。」


これはかなり意外でした。
当時の「天動説VS地動説」論争が、一般の認識よりはずっとまともであったことは聞いていました。
(「地動説が本当なら、星の年周視差が観測されるはずなのに、観測されないではないか」という、至極真っ当な反論があったのです。)
しかしまさか教会がバックアップしていたとは。

ガリレオの裁判も、「地動説」を裁いたというよりは、
当時 教会の組織内で力を伸ばしていたガリレオに対する牽制だったようです。
(つまりただの権力闘争)
ガリレオ自身もカトリックにどっぷり浸かっていたようで。
目からウロコ。



「スピノザは『神即自然』という一種のスローガンを立てたことで知られていますが、この「神即自然」という表現は、こんな意味だと理解していただいてよいでしょう。神は、最初の創造のときにこの世を造ります。そのとき、神は自然界に厳密な秩序を与えます。世界はその秩序の通りに動きます。
(中略)
神はもはや、自然の『外』にあるというよりは、自然そのものであると考えなければならないのではないか。」


なるほど。これが「スピノザの神」ですか。
アインシュタインが「私はスピノザの神を信じる」と言った意味がやっとわかりました。
確かにこの考え方なら私でも受け入れられそう。

現代の宇宙論でも、「宇宙は “ゆらぎ”から生まれた」という理論が「神の最初の一撃」説と称されることもありますし。

また、「神即自然」説から生まれる「無神論」の説明にも納得がいきました。

「<神=自然>なら、わざわざ自然を「神」と言い換える必要がないではないか。ならば神という概念は要らない」

ごもっとも。

この考え方を踏襲する「無神論」は、日本で一般に称される「無神論」とは異なる、という注意書きがされています。
しかし海外で出版されている「無神論」の本も、日本の無神論と似たようなものです。
(そもそも日本では「神」論そのものに人気がないので、日本の無神論は海外の無神論の輸入かもしれません)


科学者が「聖職者」でなく「ただの人」となった今、
無神論は別の意味で説得力を持ってしまいそうです。
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コメント

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スピノザの神の捉え方は興味深いよね。

神の神秘性が薄められているので、特に神を信仰している訳ではない人にも納得できるような物理的な次元の話に落ち着いている。

自然と神を同値とするならば、「自然をわざわざ神と言う必要はない」と考えるべきか、それとも「神を単に自然と言う必然はない」と考えるべきか、何とも面白い。

何だか独り言みたいなコメントになってしまった (>_<)

>naoki

同値ならどちらに言葉を統一しても同じなはずなんだけどね。
それをわざわざ「神」を放棄して「自然」を選んだスピノザは、
両者を本当に同値ではなく何らかの違いをつけたからのようにも思えてしまう。

ちなみに、スピノザの定義に従うなら僕も神を信じていることになってしまう。
この自然は驚異ですよマジ。

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