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【BOOKS】『科学の未来』:テレパシーのできる未来、倫理が試される未来

科学の未来 科学の未来
フリーマン ダイソン (2006/01)
みすず書房



「テレパシーを実現するために必要な技術は何か?」

本書はこのようなSF的な議論を真剣に扱う。


テレパシーのために脳に装着する送受信道具は、
1)非侵襲的
2)高感度・高解像度
3)広域周波数
が要求される、としながら、

「このような機械は不可能だと宣言する物理法則はない」と続く。

「よって神経工学が発達した将来にはテレパシーも可能になるだろう」


なんとも魅力的な予測ではないか[1]。


しかし本書は読者にSF的な空想を楽しませることを意図していない。
むしろ上記の例はエンターテイメントとしての読者サービスと考えられる。

本論は科学と社会・政治の関係性を明らかにすることであって、
「予言」はその分析から導かれる結果の一例を出しているに過ぎない。
(分析に基づくが故、ダイソンは「予言」と呼ばれるのを好まない)

よって「予言」の中には批判も含まれる。
たとえばトカマク核融合による発電の研究を、技術ではなく
政治的・社会的・歴史的な側面から「巨大な無駄」と言い切る。

『ガイアの素顔』では「スペースシャトルは壮大な無駄」と断じており、
予言どおりスペースシャトルは2005年に打ち切りが決定された[2]。

このような例を見ると、核融合の話も信憑性が出てくる。



無論、ダイソンの見解がいつも当たるわけではない。

本書の原文が書かれたのは1995年、
まだゲノム解析が始まったばかりだった。

当時の解析スピードの遅さを見て、
ダイソンは本書の中でこう述べている;

「いま生物学に必要なのは分子レベルでDNAを見られる顕微鏡。
原子間力顕微鏡をゲノム解析に使えるようにするための問題の解決が求められる。
この問題は10~20年のうちに解決するだろう」

実際には原子間力顕微鏡など使わずにゲノム解析が終わった。
しかも「10年か20年」どころか8年で

「生物学の技術進歩は速い」と言ったさすがのダイソン先生も
このスピードは予測できなかったようである。


しかしこの予測は完全に間違っているともいえない。
現在注目を浴びている「二光子顕微鏡(two photon microscopy)」などは
DNAではなくタンパク質を分子レベルで見る技術である。

ダイソンがゲノムを重要視しすぎただけであって、
「生物学に足りないのは分子レベルの顕微鏡」という見解自体は、
2007年現在、まだ正しい。




科学者の役割についても考えさせられる。

科学技術の進歩は富の分配の不平等を拡大してきた。

科学が進歩した現代でさえ、何十億という貧しい者が必要としているのは、
安い家、安い医療、安い教育である。

富める者は進歩する技術を享受し、
貧しき者は大昔と変わらないニーズを持つ。

このミスマッチを埋めるのは倫理しかない。

科学者、教育者、企業家が協力して倫理の力を発揮せねばならない」
(強調は引用者)

科学者に、倫理的な判断力を養うだけの時間を与える体制は
どのように作るのだろう、という点までの言及はなかった。

これ以上の言及は「分析」でなく本物の「予言」になってしまうと
判断したのかもしれない。



補足

[1]ちなみに、ソニーはバブル期にテレパシーの研究を真面目に行っていた。
茂木健一郎がまだ世間に認められていなかった頃、
ソニー研究所が彼を採用することにしたのも、
当時のソニーにはこの冒険心があったからであろう。

[2]日本も無関係ではない。シャトル打ち切りを受け、
ISS用の生命科学実験施設、セントリフュージにかけた7億ドルが飛んだ。
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コメント

初コメントです!


>科学者の役割についても考えさせられる。「科学技術の進歩は富の分配の不平等を拡大してきた。科学が進歩した現代でさえ、何十億という貧しい者が必要としているのは、安い家、安い医療、安い教育である。富める者は進歩する技術を享受し、貧しき者は大昔と変わらないニーズを持つ。このミスマッチを埋めるのは倫理しかない。科学者、教育者、企業家が協力して倫理の力を発揮せねばならない。」科学者に、倫理的な判断力を養うだけの時間を与える体制はどのように作るのだろう、という点までの言及はなかった。これ以上の言及は「分析」でなく本物の「予言」になってしまうと判断したのかもしれない。

不平等に対して富の再分配を以って臨もうっていうテーゼについて、特に20世紀後半からは社会科学の分野でも哲学的議論が盛んになってます(盛んになりつつある、と言うべきか)。

もっとも、今、社会科学の分野では、自由・平等などの個人に関する価値論、そして、連帯・共生などの社会に関する価値論は、まだ盛んなんだけど、統一見解の部分的構築さえままばらない状態です。

そんな哲学的パラダイムの欠如が、今、正義論について、哲学者をして萎縮せしめる状態があります。

一方で、自らの信じる倫理的価値を主張すれば、その議論が主観に立脚しているに過ぎないと批判されるのに対して、他方で、そうした批判を回避する議論を展開すれば、その議論が無内容であると批判されるっていう状態がそれにあたります。

そのため、今、格差社会に対して云々っていう価値論的議論と同時に、その前提として、そもそもある価値を社会的に(ないし世界的 に)共有することは可能かどうかっていうメタ価値論的議論が盛んです。

(確かアメリカの)ジョン=ロールズは、この点について真正面から富の格差を是正すべきだっていう正義論を展開したんだけど、その功績も、メタ価値論的議論における(狭義の)価値相対主義を相対化するにとどまっています。

異論もあり得るところだけど、一応学際的検討のご参考までに。

>naoki

お勉強中なのにブログへのコメントありがとう。

そうそう、何を以って正義と言うのか、難しい問題だよね。
僕が「科学者に倫理的な判断力を養う時間がない」って書いたのは、
本書には「倫理は大事」って書いてあるだけで
「その倫理観をどう養うか」については言及されていなかったから。

何も考えずに、他者から与えられた倫理を標榜すると
逆に弱者を苦しめたりイデオロギー的になることもあると思うし。

ロールズの「公正と正義」は3年前に読んで、完全に消化不良でした。
もう一回読んでみようかな。
また解説をお願いするかも。

>一方で、自らの信じる倫理的価値を主張すれば、
>その議論が主観に立脚しているに過ぎないと批判されるのに対して、
>他方で、そうした批判を回避する議論を展開すれば、
>その議論が無内容であると批判されるっていう状態がそれにあたります。

あはは・・・苦笑。
科学の世界でもこれのミニチュア版は存在するけど、
哲学の世界ほど顕著ではないんだろうなぁ。
情報ありがとう。

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