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【BOOKS】『見る脳・描く脳』:ピカソの絵は視覚の背側経路を切断した絵

見る脳・描く脳―絵画のニューロサイエンス 見る脳・描く脳―絵画のニューロサイエンス
岩田 誠 (1997/10)
東京大学出版会

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『臨床医が語る 脳とコトバのはなし』の著者による「脳と絵画」の本。

私は言語への興味の方が大きいので『脳とコトバのはなし』の方がおもしろかったが、
本書も絵画の素人に「脳科学者なりの楽しみかた」を教えてくれて楽しい。

たとえば;

・ピカソのキュビズムは、視覚情報処理機構のうち腹側経路だけを使って見た図といえる。

ある患者は、背側経路が損傷されていたため、見たものが「何か」ということはわかるが、「どこに」という位置情報を欠損していた。この患者が描く絵はピカソのようになる。

・ルネサンス以前の絵画は、画家の心象風景が構図だった。
描画対象の大きさは網膜像の大きさとは関係なく、画家の心の中でのその対象の存在の大きさによって定まる。

・ルネサンス期は、「網膜に映るリアルな像に迫ろう」とする。

ここに来て遠近法が開発されることになる。
さらに、視点のみならず視線さえ固定したレンブラントなどは、画の中心は色鮮やかだが周辺は白黒という構図を取る。

これは、網膜の中心は錐体細胞が集まっているが、周辺には存在しない(=網膜の時点では白黒の情報しかない)ことに由来している。

・ルネサンス以降の印象派は、「網膜に映る像と頭の中での構図は異なる」ことに気付く。

絵が「リアル」に見えるためには、写真のように像を固定してはならず、対象を分析・分解し、一部のモジュールは故意に欠落させたり強調させる必要がある。

モネの絵は、輪郭の認識を欠落させた代わりに、色覚を詳細に分析し、再構成した画と言える。


などなど。

著者自身、「絵画は考えながら見るものではない」としているものの、
「絵の楽しみ方は人によって違っていい」という一般論を適用していいのなら
私としてはこちらの方が楽しめる。

むしろこの方が画家の偉大さがわかりやすい。

ピカソの絵も、この知識がなければ「幼稚園児?」と思うが、
本書を読んだ後は「ピカソは背側経路を保持していたにもかかわらず、ここを使わずに見た場合の世界も分解・再構築できるんだ」と思えるようになった。


他にも、
・点描画は目の解像度から考えて何メートル以上離れて見るべきか

・マグリットは空間を再構築しているのに対し、シャガールは時間的な再構築をしている。

など、画家から見たら邪道なのだろうが、科学者から見るとおもしろい視点が多い。
(本書の前半は周知の視覚理論なので、後半の方がおもしろい)

以下、気付いたこと。

・脳卒中で右半球を損傷した画家が、回復後に絵柄が変わったというエピソードは、
東野圭吾の『変身』を思い出させた。

(しかもこの画家は損傷前よりも評価が高かったらしい。「塞翁が馬」の典型か)

保続、という現象が紹介されていた。
何らかの課題遂行を繰り返してしまう現象。前頭葉障害と考えられている。

例1)一部の失語症患者では、ある者の名称を言ってもらうと、意図せずにその名称を繰り返す(回帰性保続)。犬の絵を見て「牛」と答えた患者が、次に時計の絵を見ても「牛」、煙草の絵を見ても「牛」と答えてしまうなど。

例2)特定の行動が止まらなくなる(持続性保続)。筆記体のeを数回書いてもらうと、そのままペンの回転が止まらずeを書き続ける、など。

自閉症の症状に似ているな、と思った。

・空間認知ができない患者(上記のピカソもどきの絵を書く患者)の書く文字は、LD(学習障害)のこどもの書く文字と似ていた

何か関係があるのかもしれない。
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