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【BOOKS】『科学ジャーナリズムの世界』:科学の報道における問題

科学ジャーナリズムの世界―真実に迫り、明日をひらく 科学ジャーナリズムの世界―真実に迫り、明日をひらく
日本科学技術ジャーナリスト会議 (2004/07)
化学同人

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「あるある大事典」のスキャンダルが、今週のnatureに載っている[1]。
(nature 445 p804-)

英語で読むと余計に日本の科学リテラシーの低さが際立つように思える。
(中立性を維持するためか、イギリスの捏造報道についても数行だけ触れられている)

<追記>
vikingさんのブログでもnatureの記事に関するエントリーがあるのを発見。
「あるある」事件に対する評とリンクハブであるこちらのエントリーはとても参考になる。
<追記終了>

実際、本書『科学ジャーナリズムの世界』にも、
日本の大人の科学知識はOECD14カ国の中で
最低レベルにあることが示されている[2]。

「宇宙は巨大な爆発によって始まった」
「電子は原子より小さい」

というような問題の正誤がわからないらしい。

(ただこのビッグバンの問題はいささか曖昧ではある。
ビッグバンは、この世に存在するいかなる爆発よりも小さい状態で発生している。
「巨大」とは必ずしも言い難いかもしれない)

しかし本書では低い科学リテラシーに対して
多様な見方が提示されており、読んでいておもしろい。

科学や技術に対する国民の関心が薄いのは実に健全な社会なのだという考え方もある。

つまり、国民が科学や技術を、そして科学者や技術者を信頼しているからこそ、それらに無関心でいられるのだ。

自動車を購入したとき、それが本当に安全に走るかどうかを、その仕組みを勉強すしなければ運転しないというのは不自然だ」

さらに、自分たち科学記者の存在意義にも疑問を投げかける。
科学報道があれば市民の科学リテラシーはあがる、と期待されている。
が。

『遺伝子は、遺伝子組み換えトマトに含まれているが、
 ふつうのトマトには含まれていない』

という正誤問題に対する誤答率は・・・


メディアの科学に接する人:29%
メディアの科学に接しない人:31%


これは有意な差なのか、
本当に科学の報道は科学リテラシーを向上させるのか、と。



全体的に、科学ジャーナリズムを批判しつつも、
諦めと開き直りの姿勢も少し見える[3]。

たとえば、「科学記者はもっと勉強せよ。
地球が太陽の周りを回っていないことを認識していない記者がいたが、
そんなことではダメだ」と批判しつつも、
「でも全科学分野をフォローするなんて無理」というのもまた本音のようだ。

朝日新聞社の編集者が語った言葉が象徴的である。

「いわゆる「理系」でない私には、自然科学の素養がまるでない。
(中略)だから、知識がないことでは誰にも引けを取らず、
従って初歩的な質問をする事が、全然恥ずかしくないのである。

たとえば、天文台某教授と私のあいだで、こんなやり取りを交わしたことがある。

『すばる望遠鏡ってずいぶん高い山のてっぺんにありますけど、
 だとすると、筒はずいぶん長いんでしょうねえ』

『???』

『よっぽど長~い筒がないと、麓の観測所からのぞけないでしょう』

『・・・(絶句)・・・』
(後略)」

この記者は勉強したんだろうか??

記者に悪気がないことはとてもよくわかるが、
同時に科学者としてはかなり不安になるのではないだろうか。


初めに紹介したnatureの記事では、次のような文で締めくくられていた。
「(発言を捏造された研究者の)Kimは本nature誌に対しても
『できあがった原稿を見せてくれ』と主張した。
『それが “あるある”から学んだことだ』と。」


本書は、「あるある」ほどひどくはなくとも、様々なレベルで
科学報道は歪む可能性と事例を提示している。

科学ジャーナリストになろうと思っている人はもとより、
および「将来自分の研究を報道される可能性のある」科学者は読んでおいて損はないと思う。



<補足>

[1]「あるある大事典」は “an encyclopedia of facts”と訳されていた。
「あるある」という口語的な響きが一切消え去ってカッコ良くなっている。

ただし本文中では一貫して “Aruaru”と表記されている。

おそらくこの方が幼稚さを表現できると考えたのだろう。
英語では、zig-zagなど一部の表現を除き、音節が繰り返される言葉は幼稚な響きを与える。

[2]この他にも、一般向けの科学雑誌は、日本では衰退しているのと対照的に、
欧米では New Scientist やP.M.などの雑誌が極めて好調である事も示され、
羨ましく思った。

私はディベートの国際大会で欧米の大学生と話す事がしばしばあったが、
彼らが浅いながらも一通りの科学の話題は知っていた。
興味がなくても科学の話題が耳に入る土壌のおかげだと思う。

[3]もちろん、彼らの努力と行動力は尊敬に値する。
放射能に汚染された食べ物を食べながらのチェルノブイリ取材や、
ブルガリアでスパイと間違われて警察に尋問され留置所に入れられた経験など
本当に恐れ入る。

私は本書の著者の一人である小出五郎氏と話したことがあるが、
「一般の人にもわかりやすく、おもしろく、かつ正確な科学を楽しんでもらう」ことに強いプライドと自信を持っていらっしゃった。

「ジャーナリストは現場に行くこと、人と話すことを徹底的に叩き込まれる。
論文でも、机の前だけで、頭の中だけで作り上げたものは浅い」

と語っておられたのが印象的。

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コメント

>つまり、国民が科学や技術を、そして科学者や技術者を信頼しているからこそ、それらに無関心でいられるのだ。

えぇー。嘘だぁー。逆のような気がしますよ!
だって、遺伝子組み換え食品の方がよっぽど安全なのに、嫌悪感を抱いている国民が多いです。これは、逆の場合に当たると思います。

確かに。
遺伝子関係のバックラッシュは研究者側が国民の理解度を見誤った節がありますね。
「遺伝子組み換え」でなく
「掛け合わせ」と表現するだけでかなり抵抗が減ったのではないかと思います。
遺伝子が何なのか全く知らずに反対している人が大半ですから。

あと、政治的と思える介入がある場合にも上記の議論は役に立ちませんね。
農薬なしの「有機食品」のほうが農薬つきよりも危険だったりするにもかかわらず
有機食品が推奨される一因は『日本の農業を守るため』という政治的要因と言われますし。

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