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インテリジェント・デザイン:科学の科学性は何が保証するのか

先月(2/13)、アメリカのカンザス州で、
「公立学校ではインテリジェント・デザイン説を教えなければならない」
という法律が撤回されました。


nature 445, p807に軽く載っています。
「カンザスはやっと科学の全うな道に戻ることができた」
というコメントがなされています。

アメリカでは、進化論を支持する人の割合が、
20年前の45%から40%に減少
しています。
このアメリカにおいて、久々に科学にとって明るいニュースと言えそうです。

(残りの人は、30%が「支持はされているが確立はされていない理論」
残りは「完璧に証明されている理論」と思っているらしいです。
私は前者の姿勢が妥当だと思います。)

今回の決定は、インテリジェント・デザインを支持する教育委員会のメンバーが選挙で落選した結果だとか。
「選挙」で科学的真実が決定していいのかという突っ込みもしたくなりますが。

(映画『マンダ・レイ』に描かれているような、現在の時刻を
選挙で決定しようとする
ような、発展途上の人々滑稽さを笑えません)

<補足>インテリジェント・デザイン説とはこんな説。
「この世には科学で説明できないことがたくさんある。
たとえば進化論なんて、『原始生物からだんだん人間が進化してきた』
なんて言うけれども、化石には『だんだん進化した』形跡がないじゃないか。

ミッシングリンクはどこに行った?
私たちは進化論は否定しない。
しかし、進化の過程には、生命を人間のような知的な生物に導いた、
知的な “何か”(インテリジェント・デザイナー)がいるはずである。」

つまり、「この世は神が創った」とする福音派(エヴァンゲリスト)
による創造論(creationism)の焼き直し。

ただし創造論と異なり、「神」という言葉を使わないので、
非キリスト教、無宗教の人もターゲットにしており、
かつ政教分離の法も潜り抜ける可能性を秘めています。
<補足終わり>

カンザスでは2005年に、公共教育では次のように教える決定が下されていました。
「進化論は問題の多い論であり、公平性を期すために
インテリジェントデザインという考え方も教えるべき」




インテリジェント・デザイン、かなりアツいです。

私がこの説を最初に知ったのは2004年のnatureの記事(nature 428, p595)。

最近もこれに関連した記事がありました。(nature 444, p806, 2006)

最初は「確かに!科学には説明できないことって多いよな~」みたいなノリで
楽しんでいたのですが、さすがに背景の政治的圧力を知ると笑えなくなります。


私が1年前にディベートの世界大会に行ったときの議題の一つは
この「インテリジェント・デザインを公共教育で教えることの禁止」の是非でした。

その時は「これってアメリカの問題だから、公平性に欠けるのでは?」
と思ってしまいました。

しかしインテリジェント・デザインは既にアメリカだけではなく、
少なくともヨーロッパにまで広がっているようです。(nature 444, ibid)

イギリスのリーズ大学でさえ、インテリジェントデザインの導入を計画しているとか。
リーズ大学、私の友人がいるところなんですけど・・・
またリーズ大学での動向を聞いてみたいと思います。

ドイツでも、創造論を学校で教えるべきとの論争が始まっています。

イタリアでは、ダーウィン的進化論は「子供に唯物論的思想を植えつける」
として弾圧を受けています。

ロシアでは、アメリカの創造論者のサポートを受けて、
インテリジェントデザインの研究所ができ始めています。

そして驚きなのがトルコ
現在、創造論の議論は非常に活発だそうです。

イスラム教徒の中にも、創造論を強く支持する人々もいるようでして。
さすがはキリスト教と根を一にする宗教。

冒頭で「アメリカでは進化論を信じる人が少なくなってきている」
というデータを出しました。
これは、日本の「科学リテラシー」とはまた別次元の問題のように思います。

日本の場合には「単に知らない」というだけの話なのが、
欧米では「宗教」という強固な信念をバックグラウンドにして、
「積極的に否定する」という立場を取っているからです。


私としては、大方の科学者と同様、
「教えるのは構わないが、科学ではなく宗教の授業で教えて欲しい」
という立場をとります。

科学は反証可能で、かつ現象に目的を与えない学問、
宗教は反証可能性を問題にせず、現象に目的を与える学問、

と認識しているからです。

反証可能性はポパーの理論そのまんま。
(前期と後期で理論に差はありますが、ご愛嬌)

インテリジェントデザイン説は「反証可能」ではないから
科学とは呼べないと考えられるからです。

「なぜリンゴは地面に落ちるの?」「知的な何かがそうしたから」

これでは科学になりません。

竹内薫さんの著書『99・9%は仮説』は私も好きな本ですが、
本文中で『反証可能性』の話を挙げておきながら
インテリジェント・デザインには「これも含めて全理論を教えるべき」
という立場をとっている理由がよくわかりません。

全理論を教えるべき、というのは一見まともに聞こえますが、そうとも限りません。

良い例が『スパゲッティーモンスター』の反証
「この世はスパゲッティー・モンスターが作ったのだ」
という理論も一緒に教えるべきだ、という宗派です。
(この”宗派”、かなり凝っていて笑えます)

『99.9%は仮説』の著者がインテリジェントデザインを支持するのは
やはり著者自身がキリスト教とだからではないかな、と邪推してしまうのです。


ただ、一概にこのインテリジェントデザインを批判することができないのは、
ホンモノの科学もかなり強い「パラダイム」に守られているという点。
これまでの理論で説明できない何かが起こった場合、
根本のパラダイムは変えずに表層の理論をいじる場合がほとんどです。
これは反証可能性を守っているのか、と。

この辺は『物理学と神』をレビューした以前のエントリーに少し書いています。


一体何が科学の科学性を保証してくれているのか。
宗教への興味と合わせて、興味の尽きない分野です。
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