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植物状態の人の意識、追記

今週のnatureに、「植物状態の人の意識」の話が軽く載っていました。
(nature vol446, p355)

一つ前のエントリーに訂正を加える必要があります。
「植物状態の人にテニスのゲームをやらせた」のではなく
「テニスをするところを想像してもらった」だけのようで。
(Owen et al, Science 313, 1402;2006)
(あ、一つ前のエントリーのリンクと同じだ。勘違いしてました。)

そのテストは「テニスをしているところを想像してください」
もしくは「家の周りを歩いているところを想像してください」
と尋ねてみて、反応する脳部位が異なることを示したようです。
(正常な人に同じ質問をしてポジコンをとっています)

つまり、「質問が理解できている=意識がある」というのが
著者らの主張。

この記事にもあるように、「そもそも意識の定義のコンセンサスがない」
状態では、何を示せば「この患者には意識がある」と言えるのか、
議論ができません。

また、必ずしも意識があるかどうかが延命措置をするべきかどうかの
基準になるとも限らないと思うんですよね。

意識がなければいいなら、non-REM睡眠中の人も間違って殺されちゃいそうです。

・・・あ、冗談で書いたけれども、
実際に植物状態の人にも「睡眠」「覚醒」という差はあるのだろうか

反応がなくても、眠ってるだけかもしれない。


そう考えていくと、方法論的な問題が見えてきます。

意識はあっても、もしかしたら耳が聞こえないだけかもしれない。

質問に答えられなくて、
間違ってプラグを抜かれてしまうかも。

(ものすごく関係ないけれども、
関東大震災の時の「朝鮮人狩り」の時には、道端を歩く
耳の聞こえない人も「日本語がわからない=朝鮮人」と解釈されて
自警団に殺されたそうで。)


これらの議論も「意識の定義」なしには
どのような測定技術を発達させたらよいのかという方向性さえ
見えてきません。

医療倫理における「意識の定義」は既に科学ではなくて政治や倫理の話になってきますが。

科学技術的な進歩に倫理の議論が追いついていない気がしてなりません。
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