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博士進学問題:学生は就活同様の研究室選びをすべき

なんだか博士就職の話題がブログ上で再燃しているようなので
便乗してエントリーします。

かなりの長文になってしまいました。

まずは時系列順に引用します。
太線は全て引用者によるものです。

最初に、lanzentraegerさんによる、うすっぺら日記より。

「学生の進路が定まらない理由の中には、自己責任の部類に含まれる
ことも多いとは思いますが、根本的に、大学院の研究室というところは、
進学してきた学生がその後どうなろうが知ったこっちゃないというところに
非常に問題がある
ように思えます。」

「もしも、「他人の人生設計まで面倒見切れない、自己責任だ。」というなら、
それを前もって明らかにしておくべきです。
あくまで、大学は教育機関であるのだから。」


続いて、stochinaiさんによる5号館のつぶやきより

「私は前から不思議なのですが、こうした研究室の先輩の進路状況や、
研究室で上に書かれているような理不尽が行われているということが、
ほとんど後輩に語りつがれていかないという現実があります。
その結果、数年前に起こったアカハラ事件とほとんど同じことが
数年後の同じ研究室で再現されているなどという信じられないことが
いまだに続いているところもあるようです。」

「というわけで、教員を糾弾して改善を迫ることも大切だと思いますが、
学生側の情報流通をなんとかする策も講じる必要を強く感じているところです。」

次に、vikingさんによる大「脳」洋航海記より。

「学生・院生たちにとっては自分の人生設計の一環として選んだラボなわけです。
指導教員には彼らを無事卒業(修了)させ、就職させる責任があります。
そうでなければ教育機関ではありません。」



最後に、potasiumch さんによるpotasiumchの日記より。
これまでの方々とは少し違う見方をしています。

「大学院の教員というのは学生の人生設計まで面倒を見る必要があるのだろうか。
「教育機関である」⇒「人生設計の面倒を見るべき」という話の流れがあるけど、
それって合意が得られていること?」

「「人材育成」と「人生設計」をごちゃごちゃにしているように見える。
研究者という人材を育成するのが大学院の役割なわけで、
それを果たしていないなら糾弾すれば良い。
あるいはそんなところには入らなければ良い。
そこはおっしゃるとおり、先輩の話を聞くなり
いくつか研究室を回るなりして調べたらいい。
で、人生設計? それは自分で考えることでは? 
教員なんて人生あるいは業界の先輩として何か利用できればラッキー
ってなぐらいで、初めから世話してくれるのが当然で世話してくれない奴は
冷酷な自己中野郎的な扱いなのはどうなんだろう。」

「いや喧嘩を売るつもりはないのです。
問題が山積みなのはその通りだと思います。
ただ何か攻め方がちょっと??というか・・・。
大学院重点化がまずいというのは完全に同意です。」


私の意見はというと、最後のpotasiumchさんの意見に近いものがあります。


結論としては、
「学生による研究室選びは、最初から学生側の責任」と言いたいわけですが。
教育の質に差があったとしても、それは研究室を責めてよい理由になると思えません。

なぜなら、「大学院の役割」というもの自体が一様に決まることはないと考えているからです。
大学院によっても、研究室によっても、その方針は極めて多様です。

「大学院なのだから~すべき」と言える範囲は曖昧なものにならざるを得ません。

法的にも、大学院は就職の面倒までを目的としていません。

大学院設置基準
第三条
:修士課程は、広い視野に立って精深な学識を授け、
専攻分野における研究能力又はこれに加えて高度の専門性が求められる職業を
担うための卓越した能力を培うことを目的とする。

第四条:博士課程は、専攻分野について、研究者として自立して研究活動を行い、
又はその他の高度に専門的な業務に従事するに必要な高度の研究能力及び
その基礎となる豊かな学識を養うことを目的とする。

修士課程にはかなり「教育しなさいよ」的なニュアンスが強いのですが、
「どうやって」教育しろという点には触れられていない以上は
「教育」の定義自体が各大学院・各研究室に委ねられている
ことになります。
「うちは自由にやらせることで伸ばす環境を授ける」と言えばそれまでです。

「培う」の主語が教員なのか学生なのか曖昧ですが、
(一文の中で主語が変わることはあり得ます)
もし学生だとしたらさらに教員側の責任は減ります。

博士課程に至っては主語は完全に学生で、どこにも教育の視点は見られません。
「自分で頑張ってね」を意味しています。

つまり「大学院は教育機関」という点からそもそも疑問が出てくるわけです。
少なくとも博士課程においては。


加えて、昨今の科学界の動きは全て「大学を企業化しよう」というものです。

企業と同じように(タテマエ上は)文科省の管轄を離れ
企業と同じように数字で研究業績を評価し、
企業と同じように国家からの補助金は減らし
企業と同じように「選択と集中」し、
企業と同じように競争原理を働かせよう、と。

これに伴って大学・大学院の役割が企業と同様に
多様化していっているのも自然な流れ
です。

文科省自ら、大学院に対し、
「自らの役割を、教育なのか研究なのかはっきりせよ」
という旨の通達を出しています。
(企業にも政府からの「通達」は行くので、これも企業と大差あるわけではありません)

中には、一部の企業と同様に「院生(社員)を使い捨て」にするところもあるでしょう。
中には、一部の企業と同様に「院生(社員)に自由にやらせる」ところもあるでしょう。
中には、一部の企業と同様に教育を大切にするところもあるでしょう。
(そしてそれは究極的には「研究室(会社)」のためでしょう)

つまり、「大学院の役割は~だ」と論ずるのは
「企業の役割は~だ」と論ずるのと同じくらい大まかな議論しかできません。

企業といっても千差万別。
就職活動の時には約3000の企業の中から自分に最適な企業を血眼になって探すわけです。

その企業の目的は何か?
その企業の教育方針はどのようなものか?
その企業ではセクハラ・パワハラはないか?
その企業では強制的に深夜まで働かせられないか?
その企業に入った人はどのような能力を身につけているか?
その企業の離職率は?
その企業の雰囲気は?

調べることは無数にあります。
そしてその企業を訪問したり、OB訪問をしたり、
本・雑誌・ネットなどで口コミ情報を集めたりするのです。
当然です。
自分の将来がかかっているのですから。


大学院に入る人は、これらの努力が足りなさすぎはしないでしょうか?

大学院は、給料こそもらえませんが、就職の前段階です。
人生が大きく左右されるという意味では就職と変わりません。

その研究室の目標は何か?
その研究室の教育方針はどのようなものか?
その研究室ではセクハラ・アカハラはないか?
その研究室では強制的に深夜まで働かせられないか?
その研究室に入った人はどのような能力を身につけているか?
その研究室の博士離脱率は?
その研究室の雰囲気は?

大学院に行く人は、情報収集に時間と労力を
就職活動をする人の10%も注いでいないように見受けられます。

「自己責任と言うのなら前もってその情報を開示せよ」とは全くその通りですが
既に「調べたらわかる」程度には十分に情報は開示されているではありませんか。
現にブログ上でさえこのように盛んにに叫ばれています。

ブログが逸る前でも検索はできましたし、
少なくとも7年前の時点では本で調べればすぐにわかる程度の情報はありました。
(私が初めて博士問題を知ったのが7年前でしたので)

教育されたいのならそのような研究室に行けばいいし、
教育よりも研究に力を入れていて欲しいのならそのような研究室に行けばよいのです。

「学生側の情報流通を何とかする」のも、学生自身がやろうと思えばできることです。
現に就職活動では盛んに行われているではありませんか。

友人に聞く、先輩に聞く、研究室に訪ねる、
できることはたくさんあります。
研究室訪問や、内部の人からの意見を聞く人さえ極めて少数なのに驚かされます。


私は就職組とは桁違いに小さい労力で研究室を調べました。
全ての研究室に訪問し、院生の話も聞きました。

結果的に、現在の研究室では非常に恵まれています。
研究結果への律速段階は自分の能力だけ、という状態です。

「教育」はされずにほとんど放置状態ですが
それも承知の上で選びました。
こちらから聞けばちゃんと教えてくれます。
(「能動的でない人は何も学べない」ことは、研究科の学生便覧にさえ書いてあります。情報開示ですね。)



あくまで「相対的」な問題でしかありませんが、
やはり企業に就職した人々を見ていると院の「悲惨さ」はまだ甘いように見えてしまいます。

ゴールドマン・サックスに行って、数週間の研修後に即クビになった人。
この人はそのリスクを知って入社したわけです。
「人生設計をどうしてくれるんだ」とは言わないでしょう。

みずほ銀行に行って、環境が合わなくてすぐにやめた人。
この人は、みずほ銀行の離職率が極めて高いことを知らず
「簡単に入れるから」という理由で入ったのでしょう。

少なくとも、社会が院生の「悲惨さ」に同情するレベルは
こういった人たちへの同情と同等かそれ以下だと自覚しています。


「大学院が企業化したのは政府のせいだ」というのはその通りだと思います。
ここを責める理由はいくらでもあるでしょう。
(基礎研究でどうやって企業と同じように儲けるの?)

しかしそれは国家レベルの「将来」を憂う話であって
個人レベルの「将来」の責任を負わせる妥当性は低いように思います。

「今後、大学院はどんどんダメになっていく」ということがわかっているなら、
普通の企業に就職するという選択肢がちゃんと残されています。

どの企業にするか、どの研究室にするか、
そういった将来の選択は最初から政府でも大学でもなく
個人に責任があり、権利があります。
(そうでなければ全体主義国家になってしまいます)


「どの研究室を選んでも当たるように、全研究室を更正しよう」
という方向性では、学生の意思決定能力が阻害されないか心配です。

「研究室にはアタリもハズレもある。自分で選べ。」
と言う方が「教育的」のように思います。

「全部アタリじゃないと不安」という人が、
「ほとんどの研究と実験はハズレ」である研究業界に向いているとも思えませんし。
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コメント

TBいただきありがとうございました。また、前回はTBをいただいたにもかかわらず誤ってakismetスパム駆除ボット送りにしてしまい、申し訳ありませんでした。m(_ _)m

大変力作のエントリ、面白く読ませていただきました。M1に進んだ現時点でこれだけの見識と覚悟がおありになれば、HILOKIさんは博士課程に進んでも大丈夫だと僕は思います。太鼓判を押してもいいくらいです。自信を持ってこれからも研究に励んでいってください。

ただ、いわゆる「残酷物語」に直面するのはたぶんこれからです。M, D, PDと上がっていくにつれて周囲を見渡せば死屍累々という状況を目にするようになるでしょう。その時に、ご自分に何ができるか、何が発言できるかをまた改めて考えていただければ幸いです。

>vikingさん

コメントありがとうございます。
毎日vikingさんのHPで勉強させていただいております。
前回はいろいろとお手数をおかけしたようで申し訳ありません。
初めてのTBは事前にお伺いするべきでした。

「残酷物語はこれから」なのはその通りなのだろうと思います。
うちの研究室でも、非常に優秀でボスの信頼を一手に受けている人たちから
「ドクターに行くのは本当に良く考えた方がいいよ」
と言われるので、その悲惨さは今の私には想像も及ばないのでしょう。

よく調べて、よく考えた上で選択し、それでも後悔するような状況なら、
なりゆきでドクターに行った場合とはまた違う問題点が見える気もするのです。
その時に、「昔は何を考えていて、何をわかっていなかったのか」を
振り返ることができるように、今の考えをまとめておきました。

どうも、はじめまして。
私は、今年度の春から博士課程の1年目なのですが、この一連の問題をいろんなブログで見てきて、HILOKIさんの意見になるほどと思ったので、少しコメントをさせてください。

確かに、おっしゃる通り、大学院に進学する人間の認識が甘いというのはあると思います。
今の現状は、どんな研究分野であっても絶望的な状況でしょう。
自立心があり才能のある人間ですら厳しいのに、教育してもらおうなんて思っている人間が生き残るのは恐ろしく難しくなっていると思います。
だいたい、自立的に全ての判断をし、責任を持つなんて一般社会では当たり前だと思います。

以下は、本当に真剣に大学に行っている人に限られる話です。
大学院が人材育成の場であって人生設計の場でないのは間違いないのですが、研究者を諦めた人間がいざ企業に就職しようと思っても博士課程を出た人間なんて、出身分野によって企業から相手にもされない場合もあると聞きます。

研究という安定しない生活でも、それでもなお研究に従事しようという気概のある人間に対して何らかのフォローがもう少しあってもよい気がします。
才能と情熱を持っている人間を腐らせる必要はないと思うのですが?
甘い考えでしょう、でも人生を研究にささげようと決心しながらも、成し得なかった人間に対する仕打ちが、ただ絶望を与えるだけなら、あまりにも残酷だと思ったからです。

大学に面倒を見ろというのは筋違いですが、何らかのシステムを国レベルで構築すべきだと思うのですけどね。

論点がだいぶずれてしまい、言いたいことだけ言った形になってしまい、すいません。ただ、この問題に対しては、おそらく結論なんてないでしょうけど、よく考えるきっかけとして大変勉強になりました。

あと、私は大阪でneurophysiologyをしているので、どこかでお会いするかもしれませんね。
それでは、長々と失礼しました。

>meloさん

はじめまして。コメントありがとうございます。

私も、国が何らかの対策を講じるべきという点は完全に同意します。
政府は「失敗しても再チャレンジできる国」を目指すと言っていますが
現状で研究職は「初回チャレンジも滅入らせる」上に
「失敗していなくても就職できない」状況にあると認識しています。
自立する能力と熱意のある人を科学から遠ざける政策は
国家として相当問題があると言わざるを得ません。

ただ、私の感覚では博士課程の人の8割ほどは
博士に進学した確固たる理由を持っていないように見受けられるのです。
企業で「わが社を志望した理由は?」と聞かれて
返答に堪えるような水準の返答を返してくれた人はわずかでした。
国家の問題とは別の問題として、
「国家的な問題を抱えた進路を安易に選ぶ個人」にも
問題があるように見えてしまうのです。

私のブログの読者には同級生や後輩もおり、彼らへの警鐘にするとともに、
私自身に「もっと真剣に考えなければ」という自戒を込めて
駄文を書き連ねた次第です。

大阪でneurophysiology をされているなら今後かなり高い確率でお会いすると思います。
その時にはよろしくお願い致します。
もしmeloさんもブログ等をお持ちなら紹介していただければ幸いです。

TBありがとうございました。

 素晴らしい論説をありがとうございます。今後、卒業研究で研究室を選ぶ大学3年生と、大学院を受ける4年生の必読文献として推薦したいと思います。

 ただ読んでいて考えたのですが、就職に関しても多くの学生は動き始めて、落とされることを繰り返してから初めて本気で企業研究を始めるケースも多いようで、最初は甘いという意味では進学組とそんなに変わらないのかも知れません。しかし、就職と違って研究室だと多くのところが簡単に入れてしまうので、チャレンジを繰り返しつつ成長するということができない分、不幸なミスマッチが多くなるのではないかとも感じております。

 いずれにせよ、現状では学生にも教員にも大学にも政府にも問題はあるわけですから、少なくとも自分だけはしっかりしようとという呼びかけには大いに共感します。

 これからも、よろしくお願いします。

>5号館のつぶやきさん

コメントありがとうございます。
毎日ブログで勉強させていただいております。

必読文献とまで評していただき、大変恐縮です。
就職組も最初は認識が甘いという点は仰る通りと思います。
さすがに落とされてから考えるのは遅いと思いますが、
彼らが事前に必死に準備するのは、周囲がそうさせるからという点が否めません。
3年生の10月ごろ(早ければ夏休みごろ)から企業が自ら勧誘を始め、
雑誌やHPが就職活動や人気企業などを特集し始め、
大学も積極的に就職セミナーを開きます。
本人の自覚が甘くても自動的に情報が入り、急かしてくれる状況です。

対して大学院ではそのような環境は全くないので、
一概に就職組と比較して「進学組の自覚は甘い」と言うのは酷だとは思います。

ただ、「受け身」の姿勢でいても一応給料はもらえる企業職と異なり、
研究では周りが動き始めてから腰を上げるのでは遅いわけで、
生き抜くために求められる積極性は就職よりもハードルが高いと思われます。
その点を考慮するならば、就職組よりも高い自覚を持たざるを得ないと思い、
自戒も込めて思うところを吐露させていただきました。

まだ私は院生になりたてで、状況を俯瞰できる立場にないので
筋違いの発言も多いと思われます。
その際には忌憚なくご意見を頂ければ幸いです。

今後ともよろしくお願い致します。

企業に勤めている友達にHILOKIさんの、このブログを紹介したところ
大変納得していました。
その友達は、「研究室にいる人間は読むべき」と盛んに言ってきました。
私もそう思っているので、同じ研究室の人間にも紹介しようと思います。

あと、残念ながらブログなどをもっていないのですが
近々はじめようと思いますので、そのときはよろしくお願いします。

>meloさん

ありがとうございます。大変恐縮です。
研究も企業もわかっていない新参者の書いたものなので
お恥ずかしい限りですが。

ブログ開設の際には是非ご一報ください。
楽しみにしております。

コメントさせてください

HILOKIさま、はじめまして。今回のエントリ、興味深く読ませて頂きました。
たしかに仰るとおり、研究室を選ぶ場合には慎重に選ばなくてはならないし、選んだ以上責任は伴うと思います。

ただ、エントリ内で挙げられている様な研究室に対する情報を真に得ようと思うことは、まだまだ困難ではないでしょうか?ほとんどの場合、研究室の中でどのような厄介事が行われているかは、よほど大きな問題でない限り漏れてきません。実際に論文の捏造をした某研究室や資金の不正流用を行っていた某研究室などは、近い分野の研究者の間で噂になってはいましたが、Web上にもそのような情報は流れていませんでした。そんな大きな問題ですら発覚するのに時間がかかるのに、入りたい研究室にどのような問題があるのか、あるいは潜在的にあるのかといった細かい情報を得ることは難しいのではないでしょうか?

それは企業についても言えることだと思います。実際に入ってみなくては分からないという現実が就職やDへの進学には伴うと思います。特に研究室の場合には、(大手)企業と比較して、外部に対して内部の状況を報告したり監査を受ける義務はありませんし、行われていません。それが問題の表面化を防いでいる一因だと思います。ですから、ある程度研究室内の教育実態の情報を公開し、是正するような動きがあっても良いのではないかと私は思っています。

また情報の流通という点においても、企業へのリクルート自体が市場を持っており、企業側が積極的に情報を流すあるいは共有化できるようなシステムを構築してます。一方で、博士進学の市場価値はまだまだ低くそのようなシステム構築をする企業はあまり無いですし、学生側が積極的に情報を交換する情熱や余裕もないでしょう。

ですから、大学の研究室について、研究以外の情報を引き出し、情報を共有化するしくみというものがもう少し整備されてこないと博士を取る間も不幸だし、取ったあとも不幸だというPh.D.の数は減らないし、教育機関として優れた研究室の数も増えてこないのではないかと思います。

現状ではHILOKIさんの言われるように「当たりもあればはずれもある」であるし、選んだ側にも責任はあります。ただ、大学の研究室(あるいはアカデミア)は企業と比較して、あまりにも閉鎖的かつ教授の権力が絶対ですので、(悲惨な研究室に入ってしまった)学生を守るような仕組みがあっても良いのではないかと思います。

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ちょっと失敗したのでもう一度。

何でも人のせいにしない、まともな院生もいると知って、とても安心しました。これが研究大学の院生のサイレントマジョリティだと信じます。

「学生の行き先を考えない無責任教員が増えた」、「教育をないがしろにして論文書きに専念する教員が増えた」などという、根拠の無い主張をする人が研究者の卵を自称するのは困ったものです。事実は、そういう人は減っている、というのは大学の現場にいる人ならみんな知っています。なにしろ一昔前の大学院ではそういうのがほぼ9割でしたから。

最近では、教員評価だのエフデーだの大学院過程のカリキュラム充実だの、院生の就職支援組織化だのと、すっかりうるさく窮屈になって、誰もが表面上は学生の面倒もよく見ているという仮面をかぶるようになってますから。

それによい研究者は性悪ではありえても、バカではない事が多いので、ここ10年くらいで馬鹿みたいに増えた院生を、今まで同様に後継者の卵として扱いはしない。大体最初から目星をつけて心の中では選別して、大部分には企業にいくように心の準備をさせてます。まだ修練がたらなくて、それがもろに現れてしまい、最近ほうぼうでみるように逆恨みを買っているのが現実のようですが。。。

まあいずれにしても、恣意性を排除したできるだけ目的合理的な選別システム、それに就職支援システムの大幅な強化が、これからの我々の課題であることは認識してますよ、もちろん。当面もう少し我慢強くまってください、としかいえません。

>cantorさん

コメントありがとうございます。
仰る通り、研究室の細かい内部情報を得ることは難しい場合が多いと思います。
それは企業の場合も同様だという点にも完全に同感です。

ただ、第一に、現状の問題の大半は捏造などの触法行為ではなく、
「研究ばかりさせられて教育してくれない」という、研究の運営指針に拠っています。
このような情報は捏造のように「隠す」必要がそもそもなく、
むしろ哲学の異なる学生が来ることは教授にとっても不幸なことなので
聞けば教えてくれることの方が多いと認識しています。

これは企業も同様で、その企業の方針や哲学に合わない学生が入社することは
その企業にとっても不幸なことであるが故、積極的に
「どんな学生が欲しいのか(単に命令に従ってくれる学生がいいのか、
自主自律で動いてくれる学生がいいのかetc)」を示しています。

また、研究室は閉鎖的で、教授はその世界で権力を振るっているからこそ、
教授は自分の哲学が「世間的に見て異常」ということに気づいていない
場合がよくあります。
よって、監査など設けなくとも、話を聞くだけでその教授が
学生をどのように扱っているのかは大かた予想がつきます。
私が回った研究室の中にも、
「土日に休む学生は要らない(=学生を拘束します)」と言う教授や
「学生は攪拌器だよ(=学生に頭は要らない)」と言う教授がいました。

これに加えて院生やポスドクの人の話も聞ければおよその雰囲気はわかります。
こちらが聞きたいことに対してお茶を濁すような返答が来たら
それ自体が「答え」だとわかります。
(私の時にはほぼ全員が正直に研究室の欠点を教えてくれました)
院生やポスドクと会わせてくれないのなら、やはりそれ自体が「答え」でしょう。

以上の点で、私は研究室内部の様子を推察することは
かなりの程度可能だと考えています。

第二に情報流通の点ですが、
博士進学は企業ほど市場価値が大きくないので情報量が少ないのは
全く仰る通りだと思います。

ただこれに関しても、前述のように研究室にとっては
「自分の研究室の方針に合う学生を採る」ことには価値があるので
自ら積極的に情報公開をしている場合が多いように思います。

たとえば、東大には学部より院への入学が容易であることから
「東大に入る」という理由で東大の研究室に入る人が後を絶ちません。
研究室としてはこんな動機で入ってこられても困るのですが、
上層部からの要求により採らざるを得ないことがままあります。
そして、その研究室のことをよく調べもせず(研究内容さえ知らず)
入室して、「自分で研究してください」という方針に驚き、
不登校状態に陥る人もいます。

私はこのような事例において、「教育しない研究室が悪い」とは
言いにくいと思うのです。
教育して欲しいのなら他の研究室を調べて入学したら良いわけです。
分野や構成員によって教育or研究への得意・不得意はあるでしょうから
全研究室に対して「教育の質を高めよ」と言うことは
研究室の多様性を損ねてしまわないか懸念されます。


あまりにも倫理的にひどい研究室を是正すべきという点は全く同感です。
私のエントリーの対象は、ろくに調べもせずに進学する多くの学生と考えてください。
「東大に入りたかったから」
「就職活動が面倒だったから」
「PCRって何?」
決して珍しくないこのような院生達に、「もっと面倒見てよ」と言う
正当性があるのか、私には疑問だったのです。


今後もご意見やご指摘等ありましたら
コメントを頂けると幸いです。

>ラムさん

コメントありがとうございます。

仰る通り、院は教育重視の方向に向かっていると思われます。
これは、文科省の「研究か教育に重点傾斜せよ」という命令に従い、
かつ文科省から予算が回らないとなると、教育の方にしか力を入れられない
という実情もあると認識しています。
地方大学では院での授業評価も始まってきていると聞きます。
一昔前では考えられない現象ですね。

研究に向かない学生は企業を勧めているという点にも同感です。
私の周りの研究室を見渡しても同じような状況です。
ただ、「自律した研究者としては危ういが、ラボの手足くらいには使える」
という修士学生をドクターに誘う教授は多いので、その場合は
学生の完全自己責任ではないとみなせるかもしれません。

今後ともご鞭撻のほど宜しくお願い致します。

>

HILOKI様
なるほど今回のエントリについて対象を少し勘違いしておりました。今回、学生を使い捨てという風に考えている研究室を対象としている話だと私は考えておりました。
積極的に研究室にあう学生を集めたい研究室の情報公開や大学の名前で研究室を選んでしまう学生を対象とした話ならばエントリの内容も納得ができました。

しかしながら、若干今回のエントリとはずれてしまっているのかもしれませんが、情報公開や監査をした方が良いと思ったのは、実際に学生を使い捨てとしか考えていない教授がいるのも事実で、その教授からは情報を集めることは困難ではないかと思い先のようなコメントをさせて頂きました。(精読していないのですが、元々のlanzentraegerさんのエントリは使い捨てと考えている教授の問題を論じていると認識しておりました。)

つまり、そもそも自立的に研究をする学生が欲しいとか教育してあげますよとかそういった研究室の哲学よりも低い次元で、学生を使い捨てとしか見ていない研究室が存在するのも事実です。そういった研究室があることが問題ではないかと考えているのです。

そういった研究室では、学生を集めること自体に力を注いでいる場合があり、教授の話から実態を知ることは難しいです。また、そういった研究室にも、かわいがられている学生がいて、得てして話を聞く機会が多いのはそういった学生からで、その学生から話を聞いただけでは実際の実情がわかないことが多いです。

研究室の方針に合う学生を取ろうと思っている先生はそれ自体でちゃんと自分の研究哲学に基づいて教育しようという姿勢があるのではないでしょうか?そういった先生からはHILOKIさんの言われるような情報の公開も期待出来るでしょう。
しかしながら、私が問題だと思うのはそういった教育しようとする姿勢が全くないが、説明会などではそういったちゃんと教育の姿勢があるように装う先生も少なからずいるという点です。

それ故、研究室の哲学以前にちゃんと学生のことを考えている研究室を選ぶためには情報交換をできるようなシステムがやはり必要なのではないかと思います。

大学院重点化、ポスドク何万人計画、目指すところとして計画文章に明記されているのは「産業界の高度研究者、高度技術者」の供給です。大学院の側からみると、これがちょうど、常々困っていた、ファカルティの数と予算やサポーティングスタフの数の不整合を解消するチャンスだった訳です。お陰であらゆる分野で、ドクターは余るほど潤沢に供給され始め、大学の研究室も、活発に研究しているところは、むかしのようにお金に困って、見るからに貧しげなのは一掃されました。つまり供給側からすれば、計画はとりあえず大成功な訳です。

残る問題は、大学院の昔ながらの徒弟制の色濃い研究室体制と、産業界の受け入れ態勢です。

院生の立場から言うと、一方で、研究室で教員ポスドクの位階から、たえず発せられているサブリミナルなメッセージは、「新入り弟子弟子のお前も、がんばって学問の階段を上れば、俺たちのようなうらやむべき立場につける」という、伝統的なものです。それは我々が口で「お前らの殆どは企業に行くんだよ」といっている明示的メッセージを絶えずかき曇らせるものでしょう。他方で企業の現場からの院生へのフィードバックは、依然としてポジティブではありません。給料は5割多いが勤務時間は2倍3倍、それよりもなによりも、あちらでは精神的自由がなく自発性が圧殺される「頭脳労働奴隷」である、と、言葉ではなんと言おうとも、根本的にはこういったメッセージが未だ伝わってきます。大学で最近はやってるセクハラ、パワハラというのも、企業特に現場に近いある部分では、例外というよりも制度の一部のようなもののようでさえあります。

こうみてみると、残る問題の解決はただ一つ、企業の職場環境が博士号を持った「高度研究技術者」にとって、さらに魅力的になる、というものしかありません。国全体として「ものをつくって生きる」モデルから「ものを考えて生きる」モデルに産業が移行しなければならない事を考えれば、このような方向に動いているのは間違いないので、私はポスドク院生問題は時間が解決すると思います。

まあもし、博士高度技術者が産業界の主流になれずに、そのような産業構造の転換に失敗したら、国ごと巨大な新興国の興隆する力に飲み込まれちゃうでしょう。

ちょっとサルカスティックですが、それはそれでポスドク院生問題など問題ですら無くなっちゃうので、どっちにしても、この問題はあまり深刻に考えずに「楽観的」にみられる。。「体制の末端の番犬としての私」の言える事はこれくらいですかね。

いずれにしても、知的達成の最先端は、一名の成功者のまわりに、もと俊英たちの死屍累々というのが、古今東西普遍的な絵図です。こればかりは今後も不変でしょう。。。


>cantorさん

度々丁寧なコメントありがとうございます。
今回の私のエントリーは、「学生を使い捨て」の研究室も対象ですので
cantorさんの理解で間違っておりません。
触法行為ではありませんし、それが研究室の運営方針の一つである以上は
そういったことも大抵「調べたらわかる」からです。

lanzentraegerさんのエントリーにあるような「学生使い捨て」の具体例は、
10に1つあたるかどうかわからない研究テーマを与え、9人を路頭に迷わせるという
ものでした。
こういった運営方針も、ほとんど教授自身に聞けばわかります。
「新しいテーマは成功の保証がないけど、その分やりがいがあるよ」という
オブラートに包まれた表現になっている場合がありますが、
その程度の解釈能力は学生の側に求められると思います。
(就職活動で、企業側が「うちは給料ではなくて仕事のやりがいで報います」
と言えば、就活生は正しく「給料は安くて仕事量は多い」と解釈します)

説明会で教育を装っていても、院生の話を聞けばほぼ実態がわかります。
就職活動でOB訪問が必須であるのと似ているかと思います。

学生の側も、「テーマは小さくていいから自由にやらせて欲しい」という人もいれば
「研究室の歯車になってもいいから大プロジェクトに関わりたい」という人もいます。
前者は教育が薄くても放置される研究室を好むでしょうし、
後者は拘束されて「学生は攪拌器」な研究室を好むでしょう。
どちらも解釈によっては「学生を使い捨て」ですが、
学生の側の満足感は大きく異なるはずです。

「東大に行きたい」というだけのモチベーションの人は
後者の研究室に行けば教授・学生ともに目標を達成できることになります。
(教授は “攪拌器”を獲得し、学生は東大の肩書きを獲得する)

つまり私の主張は、「学生を使い捨て」と言っても
1)使い捨てる程度が研究室によって異なる
2)使い捨てる方法が研究室によって異なる
3)そしてそれらは調べればわかる
という理由から、学生の側に責任を置きたい、というものです。


ただ、そうはいっても、理想とは異なる状況もあろうと思います。
・研究室に入った後に教授の方針が変わることがある
・教授ではなく、直属の助手etcからこき使われる羽目になる
・教授が学生を不平等に扱うため、優先順位の低い人は放置される
このような状況は研究室に入る前段階では回避が難しいので、
学生に責任を求めるのは酷であろうと認識しています。

あくまで、エントリーの主張は
「調べれば”大抵の場合は”自分に合わない研究室を回避できる」
「にもかかわらず、大抵の学生が調べもせずに不平を言うのは疑問」
というものであると捉えていただければ幸いです。
方向性としてもっと情報公開があった方が良いという点には完全に同感です。

>ラムさん

現場からの見識、大変勉強になります。
私としては、国として頭脳集約型に移行せざるを得ないということを考えると
むしろ現状の「頭を使う必要はないからとりあえず実験していてくれ」
という研究室の多さは逆に問題が多いように思えてしまいます。
多くの企業にとってはむしろそのような「(技術はあるが思考能力はない)奴隷」が増えてもらった方が都合良いのかもしれませんが。

企業の中には例外的に、優秀な研究者に対して
潤沢な資金と自由な時間を与えて好きな研究をさせ、
実際に成功を収めているところもあります。
そういった風潮が普及してくれれば、少なくとも現状のように
「優秀な人材さえ行き場がない」という無駄は解消するものと期待しています。

セクハラやパワハラに関しても、もはや研究職の問題というより
企業の体質に起因する場合が多いと考えられます。
そう考えると、ポスドク大量生産に固有の問題は意外に少ないのかもしれません。

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