スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【記事】大学法人化:高等教育予算の削減は必要だったのか

4月号の、『科学』に大学法人化についての特集が組まれていました。

20人以上の人が法人化について様々な意見や実態を報告しています。

「教養とは」「哲学とは」という高尚な議論もあるのですが、
とりあえず法人化の影響としての正負の面をまとめると次のようになります。

法人化して良くなったこと
・ローソンやドトールなど、夜間でも食料を買える施設が学内にできて便利になった。

法人化して悪くなったこと:
・書類作成が増え、忙しくなった
・授業負担が増えた
・給料が減った
・講義内容が皮相的になった
・他大学との交流が減った


法人化を絶賛しても商用誌として売れないので、批判が多いのは当然ではあります。
欲を言えば、もっと大局的に、国家レベルでの話を論じてくれている人がいればなお良かったかな。

「大学の事情」だけをみれば悪いところだらけでも、
もしかしたら国家全体では「他のもっと逼迫した」分野に予算が回されて
正味の効果はプラス、ということもあり得たかもしれません。

法人化による国家レベルでの正の効果も視野に入れて、それでも
「法人化は間違いだった」という論文があれば説得力があるのですが。

しかし、法人化を褒め称える文章はどのようなジャーナルを読めばいいのでしょう?
私は経済誌もしばしば読みますが、こういった雑誌にも
法人化を高く評価する記事はあまり見受けられません。
(批判記事も少ないのですが。要するに経済界は大学に興味がない?)

悪いことばかり耳にするので、少しは「法人化バンザイ」の視点を読んで
バランスをとりたいと思っているのに、なかなか難しいものがあります。


個人的に、池内了氏と苅谷剛彦氏の対談がおもしろかった。
「そもそもこれまでの大学はダメだったのか」と、法人化の理由自体に疑問を呈しています。

以下、抜粋(各発言は連続していません)

池内「ほんとうに人々が『大学は何もしてくれない』と思っているのか疑問です。
 『何か大切なことをしてくれている』という気持ちが、人々の中にあると思うのです」

苅谷「日本の大学生の75%が私立大学にいます。先進国では珍しい私学優位です。
 しかも国立大学と称する所が非常に高い授業料を取っている。
 日本の大学全体が、実はもともと、極めて公的資金に依存しない仕組みなのです。
 それをもっと減らせというのでしょう」

池内「日本の経済力は上がってきたのだから、教育面にもっとコストをかけるのが
普通であるにもかかわらず、GDP比からいくと、むしろ減っているわけでしょう?」

苅谷「『無駄じゃないのか』という意見に対して、『それだけお金をかけてきたのか?』と言いたい。」

池内「理系は修士論文で皆、大きく成長します。
とにかくきちんと結果を出してまとめ上げる。その集中が成長を促すのです。
大学院の2年間でそれを身につけた人間は、企業に今、わりによく『売れて』います。
それは逆に、企業が修士を出た良い人を採っているということです。
それなのに、何を文句を言っているのかと僕は思うんですけどね。」


なるほど・・・そういう見方もあるのかも。
如何せん、それぞれの意見に定量的なデータがないので検証不能なのですが。

「教育のGDP比」に関しては他の人が言及してくれていました。
高等教育の対GDP税負担は、OECDで1%なのに対し、日本は0.5%。
どれだけ「減った」のかはわかりませんが、とりあえず少ないのはわかります。

「知的財産立国」「技術立国」といいつつ、「知恵」や「技術」にお金をかけないのはどうなっているんでしょうね。
「知恵」だけを売っているコンサルティンググループ(マッキンゼー、BCG等)が社員教育にかける予算は莫大なのですが。

「軍事予算はGDPの1%以下」という目標があったりしますが、同時に
「教育予算はGDPの1%以上」という目標を作っても良いように思います。
1%なんて言わずにもっと上げてもいいと思いますけど。

だって軍事にしろ福祉にしろ、教育レベルが低かったら余計にコストがかかるわけですよ。

たとえば自衛隊は世界的に見てアリエナイほど高学歴なおかげで、
入隊後の教育コストが低く抑えられています。
(アメリカでは文字から教える必要がしばしばあります)

たとえば福祉であれば、教育レベルが高いおかげで医療費が効果的に使われているという側面があります。
(アフリカなどで対エイズ薬を与えても、それを汚水と一緒に飲んだり、
母乳と一緒に子供に与えたりして全く無意味or逆効果、ということがあります)

問題だらけの世の中で、問題解決能力を身につけるためには高等教育が
必須
であるにもかかわらず、それに公的資金を投入しないというのは、
グランドデザインがどうなっているのか疑問です。

「愛国心」を育てるのも結構ですが(私はそれに賛成ですが)
面倒を見てくれない「国家」を愛せるのかも疑問でなりません。

たとえば親が子供に「自己責任で生きていけ」と言って教育を放棄したら
子供は親に何を感謝したらいいのでしょう。

有能な人に、「オレは自己責任で、自分の能力で生きてきた。国の世話なんて大して受けていない」と思わせてしまうのは国としても損な気がしますが。



うーん、やっぱり法人化は大局的にもダメだったのかなぁ・・・。
スポンサーサイト

コメント


GDP比0.5%って…少ないね f(^_^;)

あ、そうそう。

純粋に勉強として聞いてみたいんだけど、愛国心を育てる効用ってどういうのが挙げられると思う?

読む本読む本が、愛国心の育成を好むか否かっていう感情論に偏りがちで、何か検証不能に陥りつつあって困ってて。

(オレの読む本っていうのが科学系の本じゃなくて社会思想系の本だからいけないのかも知れないけど)

>naoki

愛国心の効用は、定量的な検証は無理なんじゃないかなぁ。
それこそ神経生理学や神経経済学とかが急速に発展すればできるかもしれないけど。

社会学的な意味での「検証」もろくなのがないという点については同感です。
ほとんどが論理無視で狭窄的な叫びをあげてるだけだもんね。


愛国心は、「長期的な国家安定」を図るために役立っているかな、と思います。

1) 政策が近視眼的になりにくい
「低能な政治家は次の選挙のことを考え、有能な政治家は次の世代のことを考える」
と言われるように、
「自分の世代さえよければいいや」と思うと、次の世代が破綻しかねない。
税の使途とか。

教育なんてその典型で、教育の効果が何十年も先に現れることを考えると
多くの国民が「そんなのどうでもいいや」と思ってしまう。
それが政治に反映されると、政治家も本腰を上げない。

加えて、税金をかけて教育した優秀な人材が全部他国に流れちゃったら
その国はおしまいだしね。
実際に日本でも起きている現象だけれども。
優秀な人が、国家公務員ではなく外資に吸い取られる・・・。

でも、一部の企業人や科学者のように、
アメリカから破格の条件を提示されてもなお
「日本の未来を信じている」と言って
日本に戻って来てくれている人もいる。
愛国心の賜物と思われます。

2) 納税額が上がる
徴税のコスト>徴税額 の場合、税務署は徴税しない場合が多々ありつつ。
だからこそクロヨンなんていう異常事態が存在するわけで。
ロングテールに相当するこういった部分を何とかするだけで
歳入は跳ね上がるのでは。
(これは定量的計算が可能かも)

3) 他国に行った時のアイデンティティ確保
これは国を営む上での利点ではなくて単純に個人のための利点だけど。

他国に行けば否が応でも「自分は何者なのか」を問われる。
「私は科学者だ」とか
「私は地球人だ」とか
国籍を問わないアイデンティティで済ませられる人もいるけれども、
ほとんどの人は「帰る場所」としてのアイデンティティを求めているように感じる。
ユダヤ人が、一度も行ったこともないのにシオンの丘に固執するのは
それが彼らの「心の帰る場所」としてのアイデンティティ確立に
大きく貢献しているからだと思うし。

で、これまで「自分が日本人であること」を意識しなかった人が外国に行くと
(1)ナショナリストになるか
(2)アイデンティティクライシスに陥る
という極端な反応を示す傾向にある。
外国人から明に暗に排斥されることの反動だろうね。
後者は単に辛いいだけ出し、
前者は歪んだ形での「愛国心」だから好ましくないように思う。
こういう人は自国の欠点が見えにくかったりするから。
それなら最初から、自国の欠点も美点も全て大らかに見つめられるほど
余裕を持った愛国心を持って状態で海外に出たほうが健康的。


「愛国心である必要がないじゃん」という反論は多分に可能だと思います。
上記の理由も愛国心固有であることを論ずるには
もう少し考察が必要なので、また機会があれば書こうと思います。


おお、なるほど。

こういう「健康」的な議論はやっぱり良いです。

確かに、長期的な政策の促進、納税率の向上については、少なくともいくばくかの違いは認められると言えそうですね。

個人のアイデンティティについては、オレもまさにその「アイデンティティクライシス」と「ナショナリスト」のいずれかになってしまう海外滞在経験者の日本人が多いのは、注目に値すると思っています。

愛国心の是非以前の問題として、個人が「自分が自分自身であること」について、それ自体だけでは確証を持つことができず、何らかの分かりやすいシンボリックな拠り所を求める傾向があるっていうのが浮き彫りになる話なので。

愛国心ではない代替物を以ってこれと同様の機能を持つものを探す余地はもちろんあると思うのですが、人種・国籍による差別がなお根強いことに照らせば、当否の問題はともかく、事実として、愛国心が個人のコンプレックスを癒すものとして脚光を浴びるという状況は、まず消えないように思うところです。

そこで、愛国心の代替物の検討もとても興味深いですが、それに加えて、愛国心の健全な利用方法なるものがあるとすれば、それはどのようなものか、というのを考えるのも大切かも知れません。

なお、オレも「最初から、自国の欠点も美点も全て大らかに見つめられるほど余裕を持った愛国心を持って状態で海外に出たほうが健康的」だと思う見地から、自然に自分の思想的バランスを保てる人間でありたいと常々思っていたので、そこにも同感です。

急かすつもりは皆無だけど、このテーマの投稿も気長に楽しみにしてます☆

>naoki

「愛国心の健全な利用法」の追求には僕も興味があります。

ただ、何を以って「健全」というかが難しいんだよね。
健全性の基準に国が関わると、愛国心自体の健全性には根拠を求められなくなってしまう。
たとえば、効果的な特攻隊があったとして、そのシステムは「健全」か?
国の存続上は是、人類普遍の基本的人権なるものを仮定するなら非となるかもしれない。
けれども、これらの基準となっている「国の存続(愛国)」や「基本的人権」は「なぜ大切なの?(なぜ健全性の基準として妥当なの?)」という疑問にそれ以上答えることが難しいと思うんだよね。

だからこそ、多くの議論は非論理的になるんだと思う。
A, because B の構図があれば論理的にできるけど、
becauseはいつか終わりが来るので、
最後の because Z のZに対しては論理性を求めることができない。

難しいけど、こういうことを考えるのは好きです。
テーマ上、機会があればこっちではなくてmixiにアップしまーす。


んむ。了解&異議なしです。

オレが「健康」と括弧を付けていたのも、HILOKIの表現の引用だったからというより、括弧をはずせない程度に論争性があることを示唆する意味合いでした。

HILOKIとの議論は、毎回刺激的で生産的で、とても好きですよ。

ちなみに、究極的な価値観の非論理性が、法思想の分野でも大きな議論の分かれ目をなしてます。

興味があればまたおっしゃってくださいな~。

他所の話題からの張り出しになっちゃうけど、「愛国心」という超複合概念を一度分解してみる必要がありそうですね。日本のように、ほぼ単一言語、単一文化で続いてきた「単一民族国家」だと、愛郷心=自言語愛=自文化愛=自民族愛=愛国心って自然につながるのであまり分けないけど。

だから日本での愛国心の効用は明白で、実際海外行くとよくわかるのは、日本人の愛国心の強さですね。これには実質右翼も左翼もない。仮に日本の領土が外国に侵されることがあったら、コスモポリタン軟弱サヨクを自称する人でも間違いなく「血の最後の一滴まで」戦う事でしょう。

一方愛国心の負の効用の最たるものはもちろん「愛国心はゴロツキの最後の砦」っていうときの例のあれでしょう。Bill of rightsで守られた「自立し武装し個人」がない日本では、愛国心の美名のもとに、多数者の専政がまかり通ってしまうという危険が、かつてあったし、今でもあると思いますよ。

アメリカや中国のような愛国心の強調は、日本でもきっと大切な事ですが、それのカウンターバランスとなる原理の強化も、同時に大切と思います。

>naoki

もちろん法学の話も興味津々です。
どんな議論も、つきつめれば論理の非論理性に当たっちゃうんだろうね。

憲法の話と合わせて、また落ち着いたら話を聞かせてください。

>ラムさん

日本人が実は愛国心が強いという点は全く同感です。
私も海外で日本人の振る舞いを何度か見てきて、実感しています。
日本人が愛国心について考えないのは、考える必要もないほど根元から愛国者だからかもしれません。

なるほど、愛国心の「分解」についてはあまり考えたことがありませんでした。
愛国心の実体は難なのか、ということを考えたことはありますが。
まだ妥当性を説明できる状態ではありませんが、日本人の場合
「日本語」でつながっている部分が大きいのではないかと思わせます。
英語圏の人間よりも、外国人の話す自国語のミスに寛容性が低いですし、
外国人が日本語を学ぶこと自体もあまり快く思っていないのではないでしょうか。
それは「日本人」としてのアイデンティティを「日本語」に求めているからではないかと感じてしまうのです。

愛国心の不の面も同感です。
「愛国無罪」と言って日本をバッシングする中国人をバッシングしていますが、
日本人も容易にこうなりうると思われます。
他山の石とできればよいのですが、難しいでしょうね。

「考える力」はグループの規模が大きくなるほど衰える傾向にあるので
「愛国者」が多数者側に回ると負の面が露出しやすい恐れもあります。

私が常に政府批判とともに「愛国心」という言葉を出すのも、
「愛国の名の下に国政への目を曇らせてはならない」という自戒を込めています。

法人化

「本来の」話題だった大学法人化の功罪についてですが、私の考えを言うと(予想通りでしょうが)現在の混乱は単なる移行期の苦しみで、そのうち本来の効果が現れて大学システムの改善になるでしょう。

まず「高等教育予算が削減された」との前提がどうもちょっと。科学技術の研究教育に割かれる予算は全体として増えています。大学に頭割りで定額配分される経費が削減されて、「競争的予算」が増えているのです。まあこれは差し当たっての善し悪しは別に、仕方のないことです。座学を中心とした学部レベルの教育にかかる費用というのは、学生単価あたりで言って高校と大学でそんなに違う筈がありません。従来はすべての大学教員が研究も行うという擬制で運営していたのですが、最近はより実態に即して、7-8割の教員は学部教育中心で研究費はこなくて、2-3割の研究者兼任の教員は、それなりの資金を割り当てられて、自分の研究室を運営できる、ということになっているだけです。

日本の大学は、最近になってようやく、全体としてみすぼらしさから解放され始めました。これは大学だけでなく、東京の町並みから1950-60年代出来の、実用一点張りのみすぼらしい中層ビルがようやっと消え始めたのをみても、国全体に美や精神的価値を表立って尊ぶ意識が出てきたせいでしょう。私の現勤務校はかなりの辺境ですが、身の回りをみても、それなりの研究を行っているグループの研究環境は、だいたい世界標準に達してます。

地方の弱小大学が立ち行かなくなるとの声も聞こえますが、地方でも著名な研究者はそれなりのファンディングを得て生きていく例も多いですし、教育機関として特化するみちもあるわけです。むろん「両方で需要がなくて消えていく」とい場合もあるでしょうが、国全体の研究教育水準という点では、大局的には同じ事です。地方にどうしても「イイ大学」を残したい県があれば、自分たちのお金(と国からなんのかのと引っ張ってくるおかね合わせ)で、スター教授を何人か呼んできて、大学を運営すれば言い訳です。

以上、devil's advocateとして。

>パングロスさん

では私も あえて逆の立場から述べさせていただきます;

研究教育に割かれる予算が全体として増えている、とのことですが、
1) これまでは予算に入っていなかった、建造物や備品の減価償却分の補填費が組み込まれるようになった
2) これまでは予算に入っていなかった、教員の退職金を大学自身が補填しなければならなくなった
3) 大学院生が増加していることが計算に入れられていない
などの理由により、「純」研究予算はむしろ減っている、と見られます。
大学の予算だけで見たら増えているだけであって、そのぶんこれまで国が負担してきた分が大幅に削減されており、正味では減少している状態です。

また、座学を中心とした学部教育にかかる費用は高校と大学で大差ない、とのことですが、
それは逆に言えば「座学」をしている場合に限られ、実験をすることが多い理系の場合には実験に費用がかけられないことを意味します。
実際に、地方大学では「学部用の実験が実施できない」という事態が現れ始めています。
備品が壊れても修理できず、薬品なども買えないからです。

加えて、たとえ座学だけで教育するにしても、中学・高校は「既に周知となり、情報の価値が薄れた」ことだけを勉強していれば教育は務まるのに対し、大学では「最先端」の情報を勉強する必要があります。
高校の先生は、政府や大学の先生などが書いた安いテキストなどを買えば済みますが、大学の教員は最新のジャーナルから情報を得ているのであり、その「最先端」の情報のコストは巨額です。
少なくとも、「コピー代にもならない」費用を割り当てられて「教育しろ」と言われている地方大学の教員は、高校の教員と同じレベルのことしかできなくなるでしょう。

畢竟、高校と同じレベルの予算でできるのは高校と同じレベルのことであり、それを目指すのであれば大学の存在意義時代を問わざるを得ないと考えます。

建物がだんだんきれいになってきた、というのは私も同感なのですが、
京大でさえ、何億円もする改築費を学部予算からひねり出せと言われており、
当局とケンカをしている状態です。
ハコは作ったが中身がない、という惨状にならないことを祈るばかりです。

あはは、スバラシイです。
実は組織運営の実務的な部分が私の最も弱い部分で、特に細部の詰めは弱いです。そして悪魔は細部に宿る、っていいますし。。

しかしとりあえず大きな数字から。ウェブにころがってた数です。この三年間で
  大学への交付金 1兆2410億ー>1兆2040億: ー370億
  競争資金 3000億ー>4700億: 1700億
だそうです。ちなみに大学の収入の半分はこの交付金だそうです。
人件費はちょっと性質違うので退職金その他の話はちょっと置いときます。補修費やらなんやら予算費目の付け替え等で1300億負担が増えた、というのはにわかに信じられないので、大学に降ってくる予算はやはり増えていると思います。(ちなみに今後5年かけて旧校舎の補修費が総額2兆とか降ってくる筈です)

さらに「法人化」の直接の効果で、大学ごとに「経営陣」の判断で学費を上げたり教職員の数を増減したり、その構成を変えたりすることができます。交付金の3%ほどの減というのは、これをいじるなりなんなりして、大学ごとに自前の収入を上げよとのメッセージです。例えばHILOKIサンの通う大学の学費が5割増になっても、誰も大学辞めないでしょうから、いざとなればそれも出来る訳です。またことの当否とは別に、冷酷な計算だけで言えば、教員のうちの「研究機能」も「管理機能」も果たして無い人は、基本的に非常勤講師で置き換えられますので、その気になれば人件費の大幅削減だって出来ます。

なにか全く違ったマクロな数字があればともかく、高等教育に割かれる予算は増えているように思いますが、どうなんでしょうか?

たぶん根っこに国の今後の中期目標の一つに、高等教育の予算のGDP費を順次増やす(他の先進国並みにする)というのがあるのだと思います。配分の話についてはまた別に。

大学にいる人員のはなし

前段としてこの数字を
ーーーーーーーMITーーーーーーーーー東大
-----------------------------------------------------
学部ーーー16000ーーーーーー18876
-----------------------------------------------------
大学院ーー15000ーーーーーー17836
-----------------------------------------------------
教職員ーーー2300ーーーーーー11778
-----------------------------------------------------
内訳ーーーー1600(正教授等)ー4122(教授助手等)
ーーーーーーー???(事務系)ーー1498(事務系)
ーーーーーーー???(技術系)ーーー960(技術系) 
ーーーーーーー???(ポスドク)ー1085(医療系) 
ーーーーーーー770(TA、RA)

ずばり、日本の大学は「教員、研究室が多すぎる」のです:で、国家の方針である「高等教育における選択と集中」というのの行く末がみえてきます。

MITでどうして東大の1/3ほどの教員でやれるか、って思うかもしれませんが、日本の大学は、東大にしても京大にしても、「死んでる」人の数が多すぎるのです。雑な話で、過去10年間に科研費等を一度もとってない人というのは大学の中に5-7割いたりします。これらの人の大部分は、外部からすると「週に3回授業に来たりセミナーやって帰る」ってだけですから、管理職やっている場合以外は、非常勤として契約し直す事が適当である、と考える事にすると、東大は今すぐMITと同じような人員構成になるでしょう。

さてこのような事が望ましいか、それはまた別に考えるべきですが、大きな枠組みはこういう事だと思います。

パンとワイン

今日も私の主にいる大学で話題にしてた話に、どこかの大衆紙にのってた「大学におけるパンとワインの話」とかッてのがありました。(一番上の数字も実はそこから拝借しただけです。)

 定額経常費:パン:教育
 競争的経費:ワイン:研究
であるので、ワインをむやみ増やしてパンを減らしすぎると(酒飲みの肥えた教授蓮は嬉しいが)学生が飢え死にする

ッてな話ダッタと思います。これこそは、大きな話はさておいて小さな話で解決する事です。競争資金というのは、一般に大学に上前をはねられます。15%とか。最近はそれで最初から競争資金に「間接費30%」とか付けてくれたりもします。これをどう使うかは各大学で決められるようになってます。つまり、「うちで弱いものが飢え死にするう」と騒ぐのは止めて、お金もらって酒屋にいったら、みんなワインにせずに、チーズやビスケットも少し混ぜて買ってくる、ってやれば良いだけです。

>パングロスさん

多くの情報、ありがとうございます。
教員の数が多すぎる、という側面は確かにあると思います。
統計方法が違うので単純比較は困難ではありますが、研究者に対する論文数はアメリカの1/3程度であることがそれを暗示しているように思います。
私の周りでは「役に立たない教員」は見かけないのですが、それは大学に出てきていないから見かけないだけかもしれません。
文系では「週に2コマほど講義するだけ」という人が本当にいることは耳にしますし。

大学への資金に関しては、「3年前から」という点がポイントですね。
大学法人化されたのが3年前であり、それ以前の「4年前」から比べると
 大学交付金:3200億円減少
 競争的資金:1700億円増加
で、正味1500億円の減少という状況です。
法人化による大幅な予算削減を要求され、さらにその後も毎年交付金と人件費をそれぞれ減らされ続けている状況です。
競争的資金は地方大学には実質回ってきていないことを考えると(グローバルCOEも全国で30のプログラムしか採用されませんし)地方大学は瀕死の状態と言えましょう。

加えて、「政府-大学」という閉じた系ではなく社会全体のコンテクストから見ると、
大学の研究に対する社会の理解がアメリカと日本では桁違いであることもネックになると考えられます。
ハーバードやエール大学は寄付金だけで毎年1兆~2兆円を得ているわけです。
日本の大学が汗水たらしてボトルのワインを買ってきているときに
向こうの大学は何もしなくてもトラックでガロン単位のワインが運ばれてくるようなものです。
「パン」としての奨学金(返還の必要ない真の奨学金)やTA、RAなどの学生支援の体制も整っています。
授業料を上げてさらに学生の負担を増やし、人件費に充てる方向性は、学生からパンを獲得して教員が食べている状態であり、やはり私は異常事態だと認識しています。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL:

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。