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【BOOKS】『妻と帽子を間違えた男』:素数計算の怪

妻を帽子とまちがえた男妻を帽子とまちがえた男
オリバー サックス (1992/02)
晶文社



オリバー・サックスの代表作の一つ。

1985年に出版された本ではあるが、その面白さは今でも全く色あせていなかった。

オリバー・サックスが臨床にいた頃は、今よりもずっと精神性の患者に対する差別・隔離・偏見が強かった時代だった。

それにも関わらず、この本からは病院の暗い雰囲気は一切ない。
サックスの、患者に対する愛が伝わってきて、とても読後感が良い。


さすがに当時の技術では脳を見る方法は脳波が主流で、
せいぜいCTといったところなので、神経レベルで興味深い話はない。
(一般の読者を想定して削ったのかもしれない)

それでも、臨床的な症状として興味深い事例が豊富に載っている。
(以下、引用箇所の太字は全て引用者)

例1:幻肢は出したり引っ込めたりできる

幻肢の話は『脳の中の幽霊』に詳しい。
おそらくラマチャンドランが「幻肢痛の治療法」を編み出す前の話だったのだろう、
『妻を帽子と間違えた男』の中に治療法は載っていない。

しかし、『脳の中の幽霊』にも書かれていない話が載っていた。

幻肢は、一度消えていても意図的に「蘇らせる」ことができる!
以下、引用。

「義肢の使用に当たっては、幻影肢の有無は非常に重要である」

「たとえば下肢が義足の場合、安心して歩けるためには、そこにファントムがある必要がある」

「そういうわけだから、ファントムが消えると帰って不幸な場合がある。
そこで、ファントムを呼び戻したり蘇らせることが緊急肝要な課題となる」

その患者は、毎朝ファントムを「起こす」のである。
朝起きるとまず、切断した後残っている大腿基部をはげしくたたく」

「五回か六回たたいたところで、とつぜん幻影肢が、この末梢性刺激によってにゅっと生えてくる

「生える速さときたら電光石化、一瞬のうちである」

(引用終わり)


なんとも驚きである。
「毎朝」ということは、寝ると消えるということか。
毎日使っているのに、毎日消えるというのも不思議。



例2:文法的に完全な文しか理解できない疾患

失語症の患者は、「文」を理解できなくとも「音感」を理解できる。
我々がしゃべるときには、単に文だけではなく、
イントネーション・抑揚・間・表情・スピードなど
かなり膨大な量の情報を基に「意味」を判断している。

失語症の患者は、「文」を理解できなくともそれ以外の「音感」を理解できるため、
場合によっては目の前の会話を「理解」できることがある。
極めて適切なタイミングでジョークに笑ったりできる。
嘘をついてもバレる。
これは、文自体ではなく他の膨大な情報を基にしているから。


興味深いのは、これと逆の場合である。

「音感失認症」といって、「文」は理解できるが「音感」が理解できない患者がいる。

なんとこの患者には、「文法的に整った文」しか理解できない。
くだけた会話は理解できないのである。


これはなんともおもしろい。

「意味」と「文法」は別個のものであることを示唆してくれる。

チョムスキー理論は「文法」を「意味」から完全に切り離したことに大きな意義があった。

最近は文法構造を「意味」から推測する矛盾をきたした理論も発表しているようではあるが、それでも基本的な方向性として「文と意味は独立に処理されている」というのは正しいのではないかと思わせる。


同時に、現在のチョムスキー理論では、そもそも「文」が定義できていないという問題を孕む。

「これが一文です」と恣意的に決めたものを構造解析しているに過ぎない。

にもかかわらず、この患者は「一文」がわかっているのである。

でなければ「文法的に正しいかどうか」など判断不能である。

この患者の脳内で何が起こっているのか、どのように「音」が処理されているのか、極めて興味深い。


例3:てんかん患者の幸福感

てんかん患者は、発作が起こる時に様々なことを経験しているらしい。

たとえば、忘れていたと思っていた大昔の記憶が呼び起こされる。
ペンフィールドが人工的に電気刺激をしたときと同様のことが起こるのである。

そういった「過去の記憶」に加え、「強い幸福感」も伴っているらしい。

曰く、

「あなたがた健康な人々は、われわれのようなてんかんもちが、
発作を起こす直前に感じる幸福感を想像することはできないでしょう。
この至福が数秒で終わるのか、それとも数ヶ月も続くのかわかりません。
しかし、たとえ人生がもたらす喜び全てをくれると言われても、
これと交換する気にならない
ことだけは確かです」

だそうで。
よっぽどの幸福感らしい。

それは「快楽」だけではなく、過去の幸せだった時の世界も再現されるという副次的な要因も含む。

無論、「この幸福感があることは知っているが、それでも治りたい」と思っている人はいる。



興味深いのは、これらの「大昔の記憶」は発作がおさまると忘れてしまうのに
「幸福感があった」ことは覚えていることか。

これはてんかんではなく単に記憶のミステリーではあるが。


例4:素数マニアの自閉症

「レインマン」などで、サヴァン症候群はかなり有名になった。

床に散らばったマッチを見て、
「37, 37, 37」と言う。

「何それ?」
とたずねると、

「37と37と37を足して101」

101は散らばったマッチの数である。

素数にこだわるのは特殊な事例ではないらしく、著者のもとには素数計算が得意な自閉症の子供の例が数多く届いたらしい。

ある自閉症の兄弟は、お互いに巨大な素数を計算して競っていた。
サックスは、素数事典を参照して(カンニングして)その競争に加わった。
ついには、事典に載っている最高の桁(10桁)を通り越して
その兄弟は素数計算を続けた(12桁以上)


これは恐るべき能力と言わざるを得ない。

ある素数より大きな素数を見つけるためには、
その素数より小さい全ての素数を掛け合わせて1を足す、という作業をしなければならない。
膨大な計算量である。

(他にアルゴリズムがあるのかもしれない)

著者も言うように、彼らが何をやっているのか皆目見当がつかない。



想像するに、彼らは頭の中で「ブロック並べ」をしているのではないだろうか?

一般に、自閉症の人はブロックならべが非常に好きである。

「素数」とはつまり、「方形にブロックを並べられない数」である。

素因数分解は、ブロックを何通りの方形に並べられるかを調べる作業と言い換えても良い。

自閉症の、見たものを写真のように脳内に焼き付けられる技術を持ってすれば、
脳内でブロックを一瞬で様々に並べ替えることも可能なのではないだろうか。


・・・それでも12桁のブロックとは、10万×10万のブロックなどを想定していることになるのか・・・
やっぱり違うのかな・・・

それとも3次元・4次元にブロック並べをしていたりするのだろうか。

・・・謎は深い。
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コメント

突然ですが・・・

まことに勝手ながら、一風変わった脳内構造のホームページに、リンクを張らせていただきました。よろしければ、ご確認のうえ、コメントなどいただければ幸いです。

>ノースさん

リンクありがとうございます。
ノースさんのHPにお邪魔しました。
おもしろい観点で膨大なページを作ってらっしゃることに驚きました。
またじっくり拝読します。

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