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【雑誌】TIME特集(2):脳科学はタブー?

一般紙ならではの企画は、脳科学における大家たちへのインタビュー集があること。

マイケル・ガザニガ、ダニエル・デネット、アントニオ・ダマシオなどの有名人に、「意識とは何だと思いますか?」という質問をして、その回答を載せている。

その中で、バーナード・バースの答えが目を引いた。

「意識とは、最後のタブーである」

曰く、
「意識の問題はビクトリア朝時代のセックスの問題に似ている。
研究することは激しくタブーに触れるのだ。
いったん我々が性や意識の問題に取り組もうとすると、
多くの謎が去っていってしまう。
意識の問題に謎がないという意味ではない。
科学は常に謎だらけである。
重力の問題は発見当時から今までずっと謎だ。
しかし重力に関しては、理解しようとすることはタブーではない」


なんとも驚きである。
日本でも、意識の問題は「科学かどうか怪しいから敬遠される」傾向にはあるものの、「タブー」という表現はなされない。
少なくともセックスの研究をするときのような社会的障壁はあるまい。

それがアメリカでは「タブー」となる。
脳を永く「魂の座」として神聖視して歴史がまだ尾を引いているのだろうか。

解剖学でも、脳だけは神聖なものとされ、あまり解明されてこなかった経緯がある。
(このあたりの経緯を平易に解説した本があったのだが忘れてしまった。確かアリストテレスの説を教会が採用したからだったと思う)


科学とキリスト教が同根であることに起因する問題なのかもしれない。
キリスト教に関心が深いゆえ、科学にも関心が深く、中には科学に対し敵意を抱く人も出てくる。

裏を返せば日本では、同じ理由による逆の事態が起こっている。
キリスト教の思想が根付いていないがゆえ、科学に対する関心も浅い。

日本人は外来の宗教に対して「拒絶」するか「改変して受容」するという見方がある。
キリスト教に対しては拒絶という選択を取った。
その兄弟の科学に対しては、「科学技術」という日本人になじみやすい部分を強調することによって受け入れた。

このことは、日本が西洋を真似て「大学」というものを作ったとき、西洋では必ず存在した神学部をいとも簡単にはずし、工学部を主体とする世界でも稀な大学体制を築いたことにも象徴されている(科学史論で指摘されることが多い。村上陽一郎文明のなかの科学など)。

宗教を「永遠に解明不能なもの」と定義した宗教学者もいたが、この定義に従うのならば、脳があまりにも神秘的で解明が難しいが故に「神聖視」してしまうのも無理からぬことなのかもしれない。
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