スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【BOOKS】『生、死、神秘体験』

生、死、神秘体験 生、死、神秘体験
立花 隆 (2007/05/15)
講談社


立花氏と様々な著名人による、臨死体験や脳死移植などについての対談集。
1986年から1994年にかけてのものであり、昔の「脳」議論がいかに現在のそれと異なるかを思い出させてくれます。
文系の方々が多いので、時代というより分野の差異も大きいのかもしれませんが。

「意識には『日常の意識状態』と『意識の変容状態』があり、スタンフォードの研究によると『意識の変容状態』である夢を見ているときに体外離脱ができる」(p219)

のようなトンデモ系のお話がよく出てきます。

立花氏の評論は興味深いのですが、やはり理系分野については
社会学系に比べて非常に弱い印象を受けます。

「DNAが一個でも残っていたら最終的な死ではない」(p376)というくだりなどは
生命にとってのDNA観がだいぶずれている印象を受けます。

他にも:
「物質世界というのはエントロピー増大の法則に従っているわけです。
物は放って置けばバラバラになっていく。
しかし生命はより秩序が増す方向に向かう。
このような過程は物質界では考えられない。
生命界と物質界では、全く別の現象が起きているわけです」(p266)

いやいや。
エントロピー増大の法則は生命も含めた物質全てに適用できますヨ。
生命のような開放系でエントロピー増大の法則を使っちゃダメダメ。

よく進化論の否定者が
「進化はエントロピー増大の法則に反するじゃないか」
と言ってますが、あれと同程度の典型的なミスです。

同様に、
「君が代の『細石の巌となりて』はエントロピーの法則に反する」
と言う人もいますが、あれも開放系なら何も問題はないわけです。
泥や砂が堆積して巨大な岩になるのはごく自然なこと。

あ、話がそれた。
(メインテーマがあるわけではないけれど)


意識の問題について気になった点がもう一つ。
「意識がない植物状態と判定された患者が奇跡的に助かった時、植物状態だった時にも意識があったと証言することがある。周りの人の会話も全て覚えている」
という文について。

周りの人の会話を覚えていたことは「その時に」意識があった証拠にはならないと考えられます。
周りの人が喋っている時には「記憶」だけが記録され、
意識が戻ったときに過去に遡及して意識が再構築されることが考えられるので。

実際、本書でも「夢」に関する対談の中で
「長い夢を見ている時でも、実は脳内では一瞬の出来事なのではないか」
という議論がされています。
この可能性は十分に考えられ、だからこそ「植物状態の人の意識」の場合にも
過去の記憶と意識に関してはこれだけでは証拠とはなりえないはずです。


脳科学がfMRIやEEGなどを使って科学っぽくなってきたのは本当に最近の話なのですね。



他に興味深かった点;

・死の判定基準について、最もゆるかったのがカトリック、
次に厳しかったのがプロテスタント、最も厳しかったのが無神論者。
宗教性が強いほど死を恐れなくなるのではないか。

・チンパンジーの研究をしていた院生が、研究資金が途絶えてチンパンジーを飼えなくなってしまった時、アフリカに行って野性に帰そうとした。
しかしチンパンジーに情が移ってしまい、そのままアフリカに住み着いてしまった。

・コロンブスがアメリカ大陸に進出した後、スペインでは「インディオは人間か否か」で大論争が起きた。

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL:

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。